第二章 交流

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 大水が追いかけてくる。口を開けて荒く息を吐きながら、るうは階段を駆け上がっていく。

「るう!」

 聞こえないはずの瑞樹の声が聞こえた。上階への出口が見えた。最後の一段を強く踏み込み、鏡の扉へと飛びつく。がちゃがちゃと取っ手を回し、身を投げ出すように押し開いた。

「るう! ――おい!」

 力強い二本の腕が、るうの体を受け止めた。瑞樹だ。

「うわっ、なんだよ、お前びしょぬれじゃん! 何があったんだ?」

「み、みーちゃん……」

 るうは、がばりと身を起こした。

「と、トカゲは?!」

「は? トカゲ?」

「あのね、トカゲがね、ちっちゃかったのがびっくりして、あたし大きくなっていって……」

「待て待て、落ち着けよ、るう」

 瑞樹がるうの両肩に手を置いた。

「だってえ、トカゲが……あたし、トカゲ嫌いなの、駄目なの」

「いや、それは分かったから……トカゲってこれのことか?」

 くっついてるぞ、と瑞樹がつまみ上げたのは、幾分小さくなったあのトカゲだった。

「きゃあああ!!」

「うっ、もうちょっとボリューム下げて。こんなちっちゃいのの何がそんなに怖いんだよ」

「魔物だよみーちゃん、触っちゃ駄目!」

 思わず、トカゲを持つ瑞樹の腕にすがりついた。またいつ大きくなるのかも分からない。

 と、そこに椿の冷静な声が割り込んだ。

「吹雪、説明しろ。一体何があった?」

「つ、椿ちゃん……」

 椿は真っ直ぐにるうを見つめていた。るうを身動きできなくするあの視線だ。

 その途端、るうの目に涙が滲んだ。さすがの椿も、これには顔色を変えた。

「おい、吹雪?」

「ご、ごめんね、なんかほっとしちゃって……」

 その言葉を聞いて、椿が瑞樹を見る。瑞樹は肩を竦めた。

「そんな怖い顔で睨まれてもね。……るう、さっきの白い光、何だったか分かるか?」

 瑞樹の手が背中を撫でているのを感じ、るうは涙を拭った。

「う、うん。あのね、この手鏡が急に光ってトカゲを照らしたの。そのトカゲ、その時はもっと大きかったんだけど……」

 緑色の手鏡を、二人の前に差し出す。瑞樹は首を捻った。

「これが光ったのか? 光を出す武器?」

「分かんない。あのときは必死だったから……」

「じゃあ、水の音は? 結構響いてたけど」

「天井から降ってきたの。雨みたいに。水がどんどん溜まっていって、溺れちゃうかと思った」

 地下室が真っ暗になったときのことを思い出して、肩を震わせた。

 見せてみろ、と椿が手鏡を手に取る。鏡面を指先でなぞったり、引っくり返したりして隅々まで調べてから、手鏡をるうに返して、「それは『照魔鏡』だな」と言った。

「照魔鏡?」

「魔物の正体を暴く鏡だ。魔物を映すと、その力を払い清める。道具系の魔法士が使う道具の中では、有名なものだ」

「だからあんなに大きくなってたトカゲが、こんなちっちゃくなっちゃったんだ?」

 瑞樹が捕まえているトカゲは、見た目は普通のトカゲと何ら変わりない。照魔鏡に照らされたことで弱っているのだ。

 ほっとしたるうとは対照的に、椿は難しい表情で腕を組んだ。

「しかし、どうして魔物がこんなところにいるのか……」

 資料保管庫に保管されるのは、主に魔窟から採集された鉱石や植物だ。魔物は、また別の施設の管轄になる。

「一体何をしているのですか?」

 そこへ、三つの扉の前から動こうとしない三人を急かしに、小林魔導師がやってきた。

「標本を見つけたのなら、すぐにわたくしに提出してください。他の生徒の邪魔になります」

「せんせー、とりあえずこれ、見てくださいよ」

 瑞樹が左手でトカゲを、右手で照魔鏡を持ったるうの肩を抱いて、小林魔導師の目前へ押し出した。

 小林魔導師は鋭い目つきで両者を見比べると、ぐっと眉間に力を入れて尋ねた。

「このトカゲは、職員室で預かっていた魔物です。それがどうしてあなたがたのところに?」

「別に、私らが盗んだわけじゃないですよ」

「そ、そうです。そのトカゲは地下室にいたんです。あたしが驚いて水をかけたら、急に大きくなって……それで、そしたら鏡が光ったり、雨が降ったりしてきて……」

 小林魔導師は、るうに向かって言った。

「吹雪さん。あなたがその手鏡を使ったのですか」

「ええっと、使ったっていうか、勝手に光ったっていうか……」

「そのトカゲは暗いところと湿気を好み、水を吸うことで巨大化する種です。照魔鏡を使ったのはよい判断でした。このような魔物は光や火に弱いものですから」

 あの小林魔導師に褒められて、るうは頬を赤くした。けれど、すぐに嬉しい気持ちはしぼんでいった。小林魔導師が「それでは、標本を提出していただきたいのですが、」と催促したからだった。

 瑞樹と椿はそれぞれ、木の根っこと丸箱に入った青金石を差し出した。

「霧島さんも佐久良さんも合格です。正しい標本を持ち帰ってきましたね。吹雪さんは……」

「うう……それどころじゃなかったです……」

「……まあ、いいでしょう」

 溜息を吐く。

「魔物の件は、わたくしたち魔導師の不手際です。吹雪さんも合格ということにいたしましょう」

「ほんとですか? やったあ!」

「よっしゃ、ラッキー!」

 るうと瑞樹は声を上げて喜んだ。

「椿ちゃん、あたしも合格だって。次のチェックポイントに行けるね!」

「……ふん」

 椿は目を逸らした。

 また、小林魔導師はるうに赤い小石を手渡した。ぎゅっと握りしめると、びしょぬれだった体と服が温められていった。

「わあ、すごい。もう乾いちゃった」

「沸石という、魔窟の石です。この資料保管庫には、様々な警護の魔法が仕掛けられていますから。地下室の雨はその一つでしょう」

「ありがとうございます、先生」

 にこにこしながら礼を言ったるうに、小林魔導師は珍しく穏やかな視線を注いだ。

「吹雪さん。あなたはどうやら、道具系の魔力傾向をお持ちのようですね」

「え? あたしが……?」

「照魔鏡を使えたのですから、十分に素質はあるとわたくしは思います。勿論、今後変わってくる可能性もありますが」

 るうは、ぽかんと口を開けてその言葉を聞いていた。

 信じられない。

「よかったな、すごいじゃん、るう!」

「う、うん。ありがとう、みーちゃん」

 あたしにも、魔法が使えるんだ。

 上の空で瑞樹に返事をすると、自分の両手を見下ろし、るうはもう一度信じられない、と呟いた。

 

 

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