第二章 交流

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 空中に浮いた何枚もの石板が、上方の暗闇へと並んでいる。椿はその階段を上り続けていた。一段、また一段と石板に足を置けば、それに応じて仄かな光が石板に灯る。足を離せば、すうと消える。自分がどれほどの高さにいるのか、もう分らなかった。

 階段は一つの部屋に椿を導いた。陳列棚が並立した埃っぽい部屋だ。棚の中には、鉱石の標本がしまわれていた。

 入口のところで椿は足を止め、目を細める。

 魔導師から与えられた盾は左腕に固定してあった。群青色の生地に、星をまぶしたように金色の点が光っている。

 青金石――いわゆるラピス・ラズリで作られているのは間違いない。たくさんある標本の中から、それを見つけ出さなければならなかった。

 椿は目を閉じて集中した。盾から感じる僅かな魔力。それと同じものをこの部屋の中に探っていく。

 数百、数千もある鉱石のうち、たった一つの魔力を辿る。

「……駄目か」

 溜息を吐く。

 途中まで辿っていた青金石の魔力は、他の鉱石が発する魔力に絡め取られ、混ざり合い、そして区別がつかなくなってしまった。

 椿は、陳列棚の中身を一つ一つ確かめていきながら、左腕の盾が少し重くなったのを感じていた。

 

 ――やっぱり、駄目だった。

 魔力を感知することや隠された魔法を見破ること。

 魔法士になるには重要な能力といえるが、昔から椿はそれが苦手だった。

 

 ――君も『魔法持ち』だろう?

 ――どうして、隠そうとするんだ?

 

 雑賀は、本当に不思議がっていた。彼は高席の出だ。魔法士を雇い、自警団をつくって人々の居住区を守っている。そういう家に生まれたものは、魔法を使うことにためらいを感じない。

 もし、そういう家に生まれていなかったら。

 普通の、魔法の魔の字も知らないような家に生まれていたら。

 彼は同じことを、問うことができるのだろうか。

 ――できるのかもしれない。雑賀なら、自分の魔法を制御することができるだろう。力の使い方を誤ることは、きっとない。

 椿にも魔法がある。しかしそれは、いまだ未熟で、使い方次第で人を傷つけかねないものだった。

 魔法は危険な力だ。

 椿は強くそう思っていた。

 

 

 

 陳列棚の端に、白い石像が立っている。学者、女神、天使、兵士。それぞれが鉱石を手に乗せている。

 椿は、兵士の像が置かれた陳列棚に目を止めた。引き出しに名札が貼ってある。その引き出しを開け、中のものを取り出した。

 青金石は、透明な小さい丸箱に入っていた。盾と見比べても、間違いはない。

 それを持って部屋を出ようとしたとき、椿は階下の様子がおかしいことに気が付いた。

 地震……いや、水の音がする。

「なんだ……?」

 いそいで階段を駆け下りる。嫌な予感がした。あの二人が何かしでかしたのかもしれない。

 もう少しで盾の扉が見える、といったところで、水音とは違う何かが下から迫ってくるのが分かった。

 光だ。真っ白い光の筋がこちらに向かってくる。

 その光に当たった石板は浮力を失っていった。空中階段が崩れていく。

 椿は走り出した。足場が全てなくなる前に、扉にたどり着かなければ――あと五メートル。四……三……二……。

 

「佐久良!!」 

 

 声に引っ張られるように、思い切り前へ飛んだ。勢いよくぶつかった扉は難なく開き、椿は床に転がり込んだ。

「――おい、佐久良! 大丈夫か?」

 剣の扉の前にいた瑞樹が、椿に駆け寄った。使い魔の弦もいる。

「急に飛び込んできやがって……脅かすなよ。立てるか?」

「問題ない」

 差し出された手を無視して立ち上がる。

「一体何が起こった。さっきの光は何だ?」

「分からない。私もついさっき戻ってきたところだ。洪水みたいな音がしたと思ったら、下から光が溢れてきて、道が崩れていった。そっちもか?」

「ああ……」

 瑞樹は不安そうな顔をした。

「るうが、まだ戻って来てない。迎えに行ってやりたいけど、あの鏡の扉はるうにしか通れないんだ」

「……これはレクリエーションの一巻なのか?」

「分からない」

 苛立ちと心配が混ざった口調で瑞樹は言った。

「もしこれが本当に何かの事故だったら……」

「その場合は魔導師に報告すべきだ。吹雪の身が危ない」

 瑞樹は考え込み、それから口を開いた。

「――少し、待とう。るうが戻ってくるかもしれない」

 椿は意外な思いで、瑞樹の横顔を見つめた。

「待つのか?」

「何だよ、変な顔しやがって。嫌なら先生んとこに報告に行っとけよ」

「あの吹雪が、一人で戻って来られると思うのか?」

「今の、すげー失礼じゃねえ?」

 ちらりと椿に視線を向け、瑞樹は鏡の扉の前に立った。

「るうが大丈夫だって言ったんだ。待っててやるのが友達ってもんだろ」

 

 

 

 ビーカーとビーカーの間で、小さな影が動いた。それは素早く水の入ったビーカーの後ろに走り込む。

「……なに?」

 るうは影が動いた辺りをじっと見つめた。腕を伸ばして、水のビーカーを持ち上げる。すると、生あたたかくて湿ったものが手に触れた。

「きゃあっ?!」

 それは意外にも、俊敏な動きで床に飛び下りた。ぱた、とささやかな着地の音がした。

 るうは、途端に青ざめた。ぎょろりとした両目、大きく切りこまれた口。ひょろりと伸びた尾。とどめはちろちろと見え隠れする舌だ。

「と……トカゲっ!!」

 あれに触ったのか、と意識すると鳥肌がたった。ビーカーを持つ手から力が抜け、トカゲの真上に水が零れた。

 すると、トカゲの身に異変が起こった。濡れた体がぶるぶると震えだし、むくむく大きくなっていく。

「え、嘘……」

 見間違いかと思ったるうは、瞬きをした。いや、見間違いなどではない。確かに大きくなっている。

 掌に乗るほどだったトカゲは、子犬の大きさになり、その次に成犬と同じ大きさにまでなった。しかし、成長はまだ止まらない。今度は大型犬ぐらいになるのかも――るうは涙目になった。ただのトカゲじゃない。

 これは魔物だ。

 トカゲは、るうに向かってビーカーを蹴散らしながら走り出した。

「こ――来ないでっ」

 後ずさりしながら叫ぶ。

 魔物は、人を食べて魔力を得るという。あたしも食べられてしまうんだろうか――トカゲのぬらぬらとした目玉が自分に向けられると、もう声も出ない。

 蹴散らされたビーカーの中には、割れて中身が零れているものもあった。きらきらの粒。

 トカゲが、るうに飛びかかった。るうは慌てて、身を翻して避ける。トカゲは壁にびたんとくっついたが、すぐにまた、るうに近づこうとする。

 と、その時、天井の明かりが消え、辺りは真っ暗になった。そして、大量の雨が降ってきた。雨はどんどん降り注ぎ、地下室はすぐに水浸しになる。水嵩が高くなっていき、波がうねり始める。

 るうにはもう、何が何だか分からなかった。トカゲを追い払おうと手鏡を振り回す。

「こっちに来ちゃ駄目!」

 鏡の面がトカゲを映しこんだ。その途端、白い光が鏡から溢れ出し、光線となってトカゲにぶつかった。トカゲが苦しそうな鳴き声を上げる。

 わけもわからず、膝で雨水を蹴飛ばしながら、るうは上階への階段に向かって走り出した。

 

 

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