第一章 入学
07
小林魔導師は、入学式で言っていた通り、生徒たちを一人前の魔法士にするためには一切の妥協をせず、全力を尽くして指導する教師だった。Cクラスという、成績の微妙なクラスの担任としてはお誂え向きだったに違いない。Cクラスの生徒たちは、否が応にも自分たちが教師陣からどう見られているのか、すぐに悟ることになった。
何故ならば、Cクラスの授業が、初日からほとんど体育一択だったからだ。
ジャージに着替えた生徒たちを前に、小林魔導師が取り出したのは大きな巻尺だった。陸上部が距離を測るときに使うものと似た形をしている。目盛りのついた平たい紐が綺麗な円盤の形に巻き取られていて、そこに片手で持ち運びできるように取っ手がついていた。
運動の道具と、小林魔導師。似合わない組み合わせだ。
「皆さん、集まったでしょうか」
生徒たちの興味津々の視線をもろともせずに、小林魔導師は口を開いた。
「授業が始まってしばらく経ちましたが――これまでCクラスの皆さんには、体育の時間を使って様々な活動をしていただきました」
「ほんとにな」
るうにこっそりと呟いたのは瑞樹だ。
「最初は球技、次はマラソン、その次は何故か薪割り。魔法のまの字も見当たらない授業だったな」
「そうだねえ……薪割りなんか、スポーツですらないもんね。体育の授業ばっかりなの、Cクラスだけみたいだし」
るうも声を潜めて答える。Cクラスの時間割には、一時間目から六時間目まで体育の文字しか並んでいない。総合魔法学園というからには、もっとこう、ものを宙に浮かせたり、ぐらぐら煮足った鍋の前で怪しげな呪文を唱えたり、そういうことを習うものだとるうは思っていた。
けれども、実際にるうたちがやらされているのは体育という名の肉体労働だ。瑞樹と違って、るうは体を動かすのは苦手だ。体中、筋肉痛で歩くだけでも辛い。
「Cクラスはどうせ頭が駄目だから、体のほうを先に鍛えちまおうってことか?」
瑞樹が毒づいた。体を動かすことは苦にならないが、骨のない作業が延々と続くのは我慢できない。もうちょっと目の覚めるような授業を受けたい。
「今日は少し、場所を変えて作業を行います。あちらに見えている森のキャンプ場にこれから移動します」
小林魔導師は校庭の奥を指差した。こんもりと繁った木々が見える。この学園は山の中にあるため、四方を森に囲まれているのだ。
Cクラスの生徒たちは森に入っていった。獣が作ったような細い道をしばらく一列になって歩き、ある時、急に開けた場所に出た。そのキャンプ場には、丸太小屋があちこちに建てられていた。
森に漂う冷えた空気の中、小林魔導師は巻尺を片手に生徒たちを振り返る。
「では、ここからはいくつかのグループに分かれていただきます。各グループごとに一棟ずつ、丸太小屋を解体してください」
制限時間は一時間です――その言葉に、Cクラス全員が絶句した。
「先生」
「何でしょう、霧島さん」
「ちょっと意味が分からないんですけど。何を解体するんです?」
中途半端に挙手した瑞樹を見つめ返し、小林魔導師は「ですから、このキャンプ場の丸太小屋を、です」と答える。
「グループは皆さんで好きに決めていただいて結構です。大人数で取り掛かるのもよし、一人で出来るという方は一人でも構いません。解体の方法や手順も自由です。全ての作業が終了したグループからわたくしに申し出てください。きちんと解体できているか確認いたします」
瑞樹の前にいた男子生徒が手を挙げる。
「あの、俺ら、何も道具持ってないんですけど……どうやって解体するんですか?」
「小屋の中に工具箱を用意しています。使うも使わないも皆さんの判断にお任せいたします」
「でも……」
不安そうな男子生徒に、小林魔導師はすっと目を細めた。分かりました、と言ってきびきびと近くの丸太小屋の前に立つ。巻尺の紐を勢いよく引き伸ばした。
――あ、これ、やる気だ。
瑞樹は思わず体を固くした。小林魔導師の両手から、巻尺に向かって魔力が流れ出るのを感じた。ぎりぎりまで細く絞ったエネルギーの流れが巻尺の紐を均一に伝っていく。
「ねえみーちゃん、先生、どうしたのかな……」
「いいから、見とけって、るう」
小林魔導師から目を離さずに瑞樹は言った。
「あの巻尺、あれが小林先生の武器だったんだ。すごいぞ、これ」
「武器?」
るうがそう繰り返したときだった。小林魔導師は紐の端のほうを丸太小屋に放り投げるような仕草をした。すると、紐はまるで生きているかのように一人でに動き始め、丸太小屋にぐるぐると巻きついた。ぴし、とまわりの空気が一瞬で凍りついたような感覚が生徒たちを襲う。
そしてそのあと、がらがらっと大きな音を立てて丸太小屋が崩れ落ちた。土埃がわき立つ。
「うわっ!」
「何? 今の!」
生徒たちから驚きの声が上がる。るうも、目を丸くして瑞樹の袖を引っ張った。
「み、みーちゃん、先生、今何したの? あんな頑丈そうな小屋が……あれが先生の魔法?」
「うん。私は使い魔の魔法を使うけど、小林先生は道具使いなんだ。巻尺の紐にめちゃくちゃ細い糸状の魔力を流し込んで、巻きとったものを一気に切る。糸鋸みたいな武器だな」
魔力をあそこまで薄く、細く引き絞り、糸状の刃とするには緻密な制御と余程の集中力が必要だ。瑞樹はふっと笑いを零した。
やっとそれらしくなってきた。
「行こうぜ、るう。なんか急にやる気出てきた。私らにかかれば丸太小屋の一つや二つ、あっという間に片付けられるって」
「そ、そうかなあ?」
るうは拳を握る瑞樹を困った顔で見上げた。
「勿論、あたしも頑張るけど……二人だけじゃ大変だよ。マッスーにも一緒にやらないか声かけてみない?」
「いいね、それ」
るうの申し出を受けて、きょろきょろとマスムラを探す。しかし、思い思いのグループを作って散らばっていくCクラスの生徒たちの中に、その姿を見つけることはできなかった。
「あっれー? マッスー?」
「そういえば、今日は朝から見かけてないかも……朝ごはんのときもいなかったよね?」
もしかして具合を悪くして休んでるのかも、とるうの呟きに瑞樹は肩を竦めた。
「病気なんかしそうにない奴だけどな、あいつ。でもまあ、いないんだったらしょうがない。誰か別のメンバー探そう」
「そうだね。それじゃあ」
るうと瑞樹は顔を見合わせるとにっこりと笑った。
「力仕事になるだろうしな。あいつがいると楽ができる……じゃなくて、助かるよな?」
「うんうん、頼りになるよね。お願いしてみよっか」
二人はにこやかな笑顔のまま、ある生徒の元へ歩いて行った。
「お前ら、ほんと面倒くさいんだけど」
うんざりとした態度を隠そうともせずに高槻は言った。丸太小屋の中から工具箱を運び出し、るうと瑞樹の前へどさりと投げ出す。
「そんなつれないこと言うなよ、拾ちゃーん。めでたく同じクラスになれたんだし、袖擦り合うも多生の縁、持ちつ持たれつ、仲良くやっていこうじゃん」
「人をこき使おうとしてるくせによく言うよな」
高槻は瑞樹のほうにはちっとも目線を向けようとせずに、工具箱から鋸を取り出した。
「んな奴との縁なんていらねーわ。やるならさっさとやろうぜ。制限時間あんだろ」
るうは高槻の横に並んで工具箱を覗き込んだ。鋸が数種と大きな金属ハンマー、釘抜き用のバールなど、色々な道具が入っている。
「うーん、これっぽっちの道具で解体なんてできるのかなあ。難しくない?」
がっしりと材木同士が組み合った丸太小屋はとても頑丈だ。鋸の刃など、小屋の端っこをちょっと削るぐらいのことしかできないのではないか。金属ハンマーを指先で突くるうの頭を瑞樹はぽんぽんと軽快に叩いた。
「だいじょうぶだって。さっきの小林先生と同じようにやればいいんだよ」
「同じようにって?」
高槻が首を捻る。小屋をすっぱりと切り崩した巻尺は工具箱の中には入っていない。
「あっ、そっか!」
るうはぱあ、と顔を明るくした。
「これって、自分たちで魔法を使いなさいってことなんだ。だから先生、わざわざお手本をみせてくれたんだね」
「その通り。あの先生、どう見ても手取り足取り、丁寧に一から十まで教えてくれるタイプじゃないだろ? 手本を示して、あとは、はい勝手に技を盗んでくださいってやり方の人だ。うん、魔法学園らしい授業じゃん、これ」
瑞樹はにやりと口角を上げた。
「でも、一年の俺らには魔法なんか使える奴いないだろ。やっぱり、これを使えってことなんじゃねえの?」
と、高槻が指差した工具箱に瑞樹の足がかかる。
「おいこら、行儀悪いな」
「勿論これも使うんだよ。折角用意してくれてるんだしな」
「じゃ、魔法はどうすんの」
高槻は腕組みをし、瑞樹を見やる。しかし瑞樹の笑みに変わりはない。
「みーちゃんは魔法、使えるもんね」
「は?」
「あ、でも先生が使ってる魔法と弦ちゃんの魔法は違うんだっけ……あたしはよく分かんないんだけど」
高槻は眉を寄せる。
「だから大丈夫だって」
瑞樹は繰り返して言った。
「手本はもう見たし、どういう魔法なのかも大体分かった。まあ、確かに私の魔法とはちょっと傾向が違うんだけどさ」
ちらりと足元の影に目をやる。
「傾向? 何だそれ」
そらきた。
「魔力傾向のことだよ。私が見るに、小林先生は『道具系』の魔力傾向を持ってる。だからこの授業は、道具を使わないと駄目なんだ」
「……ふうん?」
不信を含んでいた高槻の視線が、僅かに緩んだ。