第一章 入学

08

 

 

 

「……やっぱり全然大丈夫じゃねえじゃんこれ」

「いや待てちょっと待てって拾ちゃん」

「その呼び方やめろ」

 高槻は瑞樹を睨んだあと、はあ、と溜息を一つ落として丸太小屋の壁に寄りかかる。

 眼前の有様には、そうする他にどうしようもないといった様子だ。先程、大見得を切ったばかりの瑞樹は鋸の柄を握り、そのままの姿勢で固まってしきりに首を傾げている。

 るうはその瑞樹の真似をしてバールを両手で構えているが、一応そうしているというだけで、瑞樹が何をしようとしているのか意味が分かっているわけではない。

 高槻は、はああ、と再び深く溜息を吐いた。

「で、『魔力傾向』がなんだって?」

「だから! 『道具系』の魔力傾向の授業なんだってこれ!」

「それはさっきも聞いたけど。つまりさ、こういうことだろ?」

 小林魔導師をさっと目で示す。

「今回の授業の課題は丸太小屋を解体すること。そのためには俺ら生徒が自分で魔法を使わなきゃならない。でも俺らCクラス全員、今まで魔法なんか使ったことがない。だから課題は誰もクリアできない。あーあ、ほんと小林先生スパルタだよなー」

「勝手に黄昏てんなよ!」

 瑞樹は人差し指を高槻に突きつける。

「あのな、一つ言っとくけど、私は魔法使えるからな! 使い魔だってちゃんと出せるんだからな!」

「とか言ってるけど、これマジなの? 吹雪」

 瑞樹は無視して、るうに尋ねる。

 るうは頷いた。

「うん、あたし前に使い魔を見せてもらったもの。弦ちゃんっていう、狼の使い魔だったよ。だからみーちゃんは魔法使える……はずなんだけど」

 尻すぼみになった言葉に、瑞樹は「るうまでそんなこと言う!」と大げさに嘆いてみせる。  

  真に受けたるうは慌てて謝った。

「ご、ごめんみーちゃん。みーちゃんしか魔法使える人いないんだし、あたしなんかが疑ってちゃ駄目だよね」

「別にそこまで謝ってもらう必要ないけどさ。あーあ、ごめん、これは本当に私の計算違いだったわ」

 瑞樹は手元の鋸を見下ろした。その刃は、森に差しこむ太陽の光を反射して鈍い銀色に光っている。

「さっきも言ったけど、私が使えるのは使い魔の魔法なんだよ。体内にある自分の魔力を生き物の形にして外に出す。そういう魔法を使う奴を『使役系』の魔力傾向があるって言うんだけど」

「ええっと、それってつまり……」

 腕組みをしたるうは考え考え言った。

「みーちゃんは『使役系』の魔法は使えるけど……小林先生みたいに『道具系』の魔法は使えないってこと?」

「うん、そうみたい」

 こりゃ見事な誤算だわ、と瑞樹は両の掌を上向きにひっくり返した。 

 小林魔導師が巻尺を使って丸太小屋を解体したように、道具に魔力を流し込んで武器とするのが『道具系』の魔法だ。体内の魔力を外部に放出するために道具を媒体とするのである。魔力を生き物のように結晶化させる『使役系』の魔法とは少々勝手が違う。

「道具系もできると思ったんだけどなー。私の魔力傾向は使役系に固定されてるみたいだ。この鋸に魔力を入れ込もうとしてるんだけど、うんともすんとも手応えがない」

「さっきから鋸を睨みつけて唸ってたのはそういうことか」

 じとりとした目付きをしながら高槻が口を開いた。

「んじゃ、やっぱり誰も魔法が使えない状況には変わりがないってことだな。制限時間も、もう三十分は過ぎたし……あとは適当にしてようぜ。どうせ誰も解体できずに授業終了だろ」

 瑞樹が「はあ?」と不満そうな声を上げた。

「何言ってんだよ。私には無理でも、お前か るうなら、道具系の魔法が使えるかもしれないだろ」

「どうだか。周り見てみろよ。誰もそんなことできてる奴いないみたいだけど」

「なんだよお前。やる気あんのか無いのかはっきりしろ」

 しかし、高槻の言う通りだった。るうたちの他に、五つほどのグループが出来ていたが、そのどこにも魔法を使っている気配は見えなかった。皆、鋸などの道具を手にしてはいるものの、それだけで丸太小屋一棟が解体できるわけもない。せいぜい壊しやすそうなドアを外そうと四苦八苦しているだけだ。

 遠巻きに見守る小林魔導師も口を出すつもりはないようだった。

 るうはバールを持つ手から少し力を抜いた。

「それじゃあ……どうしよう? なんにもしないのも先生に怒られるだろうし……魔法なしでも、できるとこまでやってみたほうがいいよね?」

 今まで魔法を見たことがないわけではない。魔法、魔力、魔窟、魔物。

 そういった言葉は、この総合魔法学園に入学する前にも日常的に耳にしていた。夜を過ごすための明かりとして。料理のための火として。機械を動かすための動力として。

 人々の生活にはスイッチ一つで使える魔法が数えきれないほどたくさんある。

 

 そしてるうは――『高席』の出身だ。

 

 魔窟から際限なく溢れ出てくる魔物を討伐し、人々に安全な土地と暮らしを提供する『高席』の一族には、魔法士となる道を選ぶ者は多い。勿論、るうの家族にも魔法を使える者がいる。

 るう自身、家業のことがあったからこそ、この学園に進学することを選んだといっていい。

 ――でも。

「なんだよ、るうまで」

 瑞樹は腰に手を当てて るうに向き直った。

「そりゃあ、私は道具系の魔法はからっきしみたいだけどさ。だからってここで課題を投げ出すわけにもいかないでしょ」

「みーちゃん」

「私が教えるよ。やってみなくちゃ分かんないけどさ、多分、使役系も道具系も、魔力を体の外に出すってところは大体同じだろうし。そこのところを上手くできれば、なんとかなると思うんだよ」

「でも……あたしには無理だよ」

 小声だったが、はっきりとした言葉だった。

 瑞樹がくっと顎を引いて、るうを見つめた。

「るう。どうした?」

「えっ?」

「お前なら魔法が使えるようになるまで粘るかと思ってた」

「え、でも」

 るうは忙しなく目線を動かす。

 何故だか心臓がどきどきしていた。

「みーちゃん、強いでしょ? 剣道もだけど、習ってもいないのに使役系の魔法も使えちゃうし……そんなみーちゃんや他の皆ができないのに、あたしができるようになるとは思えないよ、全然」

 頭をよぎったのは学習室での椿との会話だった。

 

 ――霧島がどういう考えで入学してきたのか知らないが……この学園は普通の高校とは違うんだ。お友達と楽しく遊びながら勉強できるようなところじゃない。そんな甘いところじゃない……。

 

 椿には明確な理由がある。ただ家業だったから、などとぼんやり考えて受験したるうとは違う。

 どうにか入学はできたものの、るうは自分が本当に魔法士になれると思っているわけではない。 

 

 ――魔法士になるために――人の役に立つために、ここに来たんじゃないのか……。

 

 人々の暮らしを守る。

 魔物と命を懸けて戦う。

 あまりにも魔法が身近にあり過ぎて気が付かなかったが、そんなことができるのは、選ばれた一部の人間だけだ。

 魔法士になれるとすれば、そう、椿のように頭のいい生徒か――あるいは、こんな るうによくしてくれる瑞樹だ。

「吹雪?」

 怪訝そうな声で高槻が呼んだ。壁に寄りかかっていた体を起こす。

「いきなりでよく分かんねーけど……あのさ、俺がさっき言ったのって、そういうことじゃなくてさ、」

「ちょい待ち拾ちゃん」

 高槻を遮った瑞樹は両手でTの字を作って見せる。

「何だよ霧島」

「だから、ちょいタイム。るう、少しいい?」

 瑞樹はるうの片腕を掴んで引っ張った。

「何? みーちゃん」

「いーからいーから。あ、バールは一度片付けといて」

 きょとんとしたるうを促し、瑞樹は高槻の横を通り過ぎて丸太小屋のドアを開けた。

 

 

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