第二章 交流

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 庭園のほうで、なにやら、大勢の生徒がざわめく声が上がっていた。

「おい、そっち行ったぞ!」

「えっ、どっち? あっち?」

「いた! あいつだ! 追っかけろ!」

 庭園の木々は、綺麗に刈り込まれ、幾何学的な並びをしていた。フランス式の庭を真似ているのだろうか。整然とした木々に囲われた庭園の中で、一年生たちが口々に叫びながら、右往左往している。

 手に持っているのは、虫取り網だ。

 庭園の入り口で、るうは立ち止まり、同級生たちを見つめていた。

 振り回されている網の間を、すいすいと華麗に擦り抜けていくものがある。

「みんな、何やってんだ?」

 瑞樹がぐうっと眉根を寄せた。

「何か、追いかけてるみたいだね……あ、ほら、あれ高槻君じゃない?」

 るうが指さした先では、高槻がぶんぶんと網を振り回していたが、捕らえようとしていたものは、優雅に宙を舞って逃げていった。

「ひろいちゃーん! 何してんだよ?」

 ぜいぜいと荒く息をつきながら、高槻が瑞樹たちを振り返り、「ちゃん付けすんなって言っただろ!」と叫んだ。

「見りゃ分かんだろ! 課題中!」

「……網を振り回すのが?」

 心底不思議に思って聞き返した瑞樹に、むきになった高槻は、庭園の奥を勢いよく指さした。

「向こうで先生に説明してもらえ! 俺は忙しい!」

 そう言い残して、高槻は走り去っていった。

 

 

 前原魔導師は、恰幅のよい、丸っこい体をしていた。やってきた瑞樹とるうを見ると、「ああ、来ましたね」と嬉しそうに言った。

「前原先生、お疲れ様です。第一チェックポイント、無事通過しました」

 瑞樹が差し出した見取り図と、そこに書かれたサインを確認すると、前原魔導師は頷いた。

「ああ、これです、これ。これがないと、この第二チェックポイントの課題は出せないんですよ。ねえ、佐久良君」

「はい、先生」

 前原魔導師が少し体をずらすと、その向こう側に、椿が立っていた。

「今日はレクリエーションですから、単独行動は控えませんと」

「……はい。すみません」

 心なしか、椿は悄然とした様子だった。

 前原魔導師が、三人にそれぞれ虫取り網を手渡した。

「じゃあ、次はこれね」

 何のへんてつもない虫取り網を、瑞樹は軽く振ってみせた。

「これで一体何をするんです?」

「うん、これでね、あるものをね、捕まえてきてほしいんです。第二チェックポイントの課題は、私の使い魔を見つけることなんです」

 前原魔導師は、右手で空中をかき混ぜるようなしぐさをした。

 すると、美しいひれを持った小さな赤い金魚が、前原魔導師の手のひらの上に姿を現した。驚いたことに、ぷかぷかと宙に浮かんでいる。

「それ、さっき高槻君が追いかけてた……」

 るうが思わず声に出すと、前原魔導師は頷いた。

「この庭園には、私が作った使い魔の金魚たちが、たくさん放されています。その中から、この見本の金魚と同じものを見つけてきてください。ちゃんと、三人で力を合わせてね」

 瑞樹がひゅう、と口笛を吹く。

 金魚の使い魔。つまり、前原魔導師は瑞樹と同じ『使役系』なのだ。それも、これだけの数の使い魔を一度に作り出すほどの。

 ちらりと椿を一瞥して、瑞樹は口角を上げた。

「そんなの、私の弦なら楽勝だね。よし、ここは私に任せろよ、るう」

「みーちゃん、この金魚と同じ仔を見つけられるの?」

 るうは見本の金魚と、庭園の空中に散らばる金魚たちを見比べた。

 赤い金魚、黒い金魚、白い金魚……百匹以上はいる。魚が空中を泳いでいる光景は幻想的だったが、意外にも金魚たちはすばしっこく、捕まえるのは骨が折れそうだった。

「使い魔は人間の魔力の塊だって、前に言っただろ?」

 瑞樹は自信満々だった。

「その見本の金魚は、前原魔導師の魔力の塊だ。それと同じ魔力の塊を、感知すればいいんだよ」

「魔力の感知?」

 これは、第一チェックポイントの課題より難しいのではないだろうか。

 前原魔導師が、るうの肩に手を置いて、ほほえんだ。

「大丈夫。見本の金魚と、同じ姿をした仔は一匹しかいない。魔力の感知ができなくても、見た目が同じ金魚を探してごらん」

「は、はい」

「せんせー、そっちのほうが大変じゃないすか?」

 前原魔導師は、片目をつぶってみせた。

「だから、三人で力を合わせなきゃいけないんだよ。じゃあ、ほら、網をしっかり持って。みんなで協力して見つけておいで」

 そうして、前原魔導師に送り出された三人だったが、瑞樹が椿に向かってにやりと笑う。

「怒られてやんの」

「……」

 椿は、瑞樹を睨むと、虫取り網を持ってその場から立ち去った。その姿が木立の向こう側に消えると、瑞樹はとうとう声を上げて笑った。

「はは、あの優等生め、いい気味だ」

「もう、みーちゃんったら……」

 るうは溜息を吐いた。前原魔導師に言われたことを、もう忘れてしまったのだろうか。三人で一緒に課題に取り組める、と思っていたるうは、期待を裏切られて肩を落とした。

「しょげんなよ、るう。別に佐久良がいなくったって、こんな課題、すぐにクリアできるさ」

「そういうことじゃ、ないんだけどなあ……」

 るうの呟きは、瑞樹には届かなかったようだった。

「ねえ、みーちゃん。みーちゃんが、初めて魔法を使ったときのことって、覚えてる?」

 使い魔の弦を呼び出そうとしていた瑞樹は、「何だよ、急に」とるうを振り返った。

「まあ、びっくりするやら、嬉しいやら……って感じ? あんまり、覚えてないけど」

 瑞樹が指を鳴らすと、黒い毛並みの狼が、影から伸び上がるようにして姿を現した。

「あたし、地下室にいたときは無我夢中だったけど……魔法を使ったんだって分かったときは、やっぱり嬉しかった。椿ちゃんも魔法持ちなら、きっと初めて魔法を使ったときは、あたしと同じ気持ちだったんじゃないかな。自分にこんなことができるんだって……魔法って、そういうものなんじゃないのかな?」

 瑞樹は、怪訝そうな表情を浮かべた。

「私も、魔法を使うのは楽しいとは思うけど……だからといって、仲良くできるとは限らないだろ?」

 るうは弾けるように顔を上げて言い募った。

「そ、そうかな。あたしだって、魔法を使えたんだもん、きっと椿ちゃんとも、その気持ち、分かり合えると思うんだけど」

「どうかなあ。魔法はいいもんだけど、いいことばっかり起こるわけじゃないからさ」

 使い魔の弦が、瑞樹の足に頭を擦りつける。

 弦の首筋を撫でてやりながら、瑞樹は続けた。

「昔、新田がうちの道場に通っていたときは、私もまだ、魔法持ちじゃなかった。そんときは、新田とは友達だったんだ。ライバルだった。でも、私が魔法に目覚めてからは、そのバランスが崩れちまった。――だから正直、この学園に新田が進学してきていたのには、ほんと驚いた。あいつは、魔導士が嫌いなんだと思っていたからさ」

 唇を尖らせて、瑞樹は言う。

「そういうこともありきの魔法なんだよな」

「あたし……そんな風に考えたことなかった」

「楽しかったり、大変だったり、色々さ」

 瑞樹は両手をぱん、と打ち鳴らして、「そんじゃ、行きますか!」と大きな声を出した。

「るう、その見本金魚の模様、ちゃんと覚えたか?」

「え? うん、多分……」

「よし、弦も準備いいな? ぱぱっと金魚みつけて、課題クリアといこうぜ」

 網を高く振り上げながら、金魚たちの群れへと突き進んでいく瑞樹のあとを、るうは追いかけた。

 胸の中では、瑞樹の言葉がささくれのように痛んでいた。

 

 ――楽しかったり、大変だったり、色々さ。

 

 目の前にいる瑞樹の背中が、なんだか遠くに感じられた。魔法士になるための第一歩――そう言った瑞樹の言葉の意味を、るうは考えていた。

 

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