第二章 交流

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 るうと瑞樹は、寮の集会室で夕食後ののんびりとした時間を楽しんでいた。人工妖精たちも引き上げたこの時間は、生徒たちが友人と語り合ったり、自分の勉強をしたり、思い思いに過ごすことができる。

 売店で買ったお茶を飲みながら、瑞樹は満足げに息を吐いた。

「今日の晩飯うまかったなあ。ハンバーグ久しぶりに食べた」

「おいしかったよねえ。あたし、お腹いっぱいだ」

 るうが買ったのはミルクティーだ。それを両手で包みこんで、頬を緩めた。

「掲示板に張り紙が貼ってあったんだけど、特別メニューっていうのもあるんだって」

「なにそれ。ちょう気になる」

 瑞樹はぐるりと頭を巡らせて掲示板のほうを見た。通りすがりの女子生徒が「霧島さん、もう次のご飯の話?」と笑いながら張り紙を指差した。

「それねえ、レクリエーションの賞品なんだってさ」

「レクリエーションの?」

 少し黄色がかった上品な紙が、掲示板に貼り出してある。『一年生対象のレクリエーションについて』という文字が一番上に書いてあった。

「あ、ほんとだ。レクリエーションで優秀な成績を修めたものには、食堂の特別メニュー引換券が与えられる……だって」

 るうも首を伸ばして張り紙に目を凝らした。

「おっ、いいじゃんそれ。レクリエーションなんて面倒だなって思ってたけど、俄然やる気が出てきたわ」

「あはは、頑張ってね。霧島さんならきっと優勝だよ」

 女子生徒は手を振って立ち去った。

 

「……みーちゃん、もうすっかり有名人だよね」

 るうは、尊敬の眼差しで真向かいに座るルームメイトを見つめた。一年女子寮の中で、霧島瑞樹の名を知らない生徒はいないのではないだろうか。当の本人は「そうか?」とよく分かっていない様子で首を捻っているが、寮でも校舎でも食堂でも、瑞樹はしょっちゅう声をかけられている。

「別に何もしてないけどな。なんか皆私のこと知ってるんだよね」

「ほら、新田君とよく勝負してるし。それに、やっぱり魔法持ちだもん。みーちゃんはすごいよ」

「喧嘩かあ。まるで不良みたいだな」

 瑞樹がにやつく。満更でもないようだ。

「るうだってすぐに魔法持ちになれるさ。というか、ここに入学した時点で皆、将来は魔法士だろ。魔法持ちが珍しいのは今だけだよ」

「それなら、あたしもみーちゃんみたいに体鍛えたほうがいいかなあ」

 自分が瑞樹のように、魔法を自由に操っている姿を思い浮かべてみる。使役系か、道具系か、能力系か――自分にどの魔力傾向があるのか、まだ分からない。実際に魔法を使うには、まだまだ時間がかかる。

「るうも私と一緒にランニングする? 大体、毎日十キロぐらい走るけど?」

「いきなり十キロは無理だよう……」

「えー、走ろうぜー。楽しいからさあ」

「一キロぐらいなら頑張る……」

 顎を机につけてちろりと瑞樹を見ると、「よーし、言ったな? 一キロだな?」と念押しされる。

「みーちゃん、今悪い顔してる」

「してないしてない。気のせい気のせい」

「あたし、ほんとに体力ないんだからね? きついの無理だよ?」

 るうは何度も繰り返した。しかし、瑞樹はでん、と胸を張ってその言葉を退ける。

「何事も成せば成る。るうなら大丈夫だって。私は信じてるからさ」

 るうよりも自信満々に言い切る始末だ。そんな瑞樹を見ていると、るうの気持ちも明るくなってくる。

 みーちゃんが言うなら、そうかもしれないなあ。

 そういう単純な思考回路だ。

「ミズ、るーちゃん。お久しぶりですう」

 そこへひょっこりと顔を出したのはマスムラだった。上機嫌で瑞樹の横に座る。

「お、マッスーじゃん。ほんと久しぶりだな。最近、全然見かけなかったけど何してたんだ?」

「うふふ。そりゃあ、勿論調べものですよ」

「授業休んでまで、よくやるう」

 からかうように口笛を吹く。

「何調べてたの? あ、分かった、レクリエーションのことでしょ!」

 わくわくした気持ちでるうは身を乗り出した。しかし、マスムラは意味深に笑うばかりだ。

「あれ、違うの? じゃあAクラスの魔法実習のこと?」

「それも違うんですよねえ。そういうのは時が来たら分かることじゃないですか。誰も知らない秘密ではないです」

「やけに焦らすな。答えは?」

 マスムラはぱちりと片目を瞑ってみせる。

「調べたのは、この総合魔法学園の学園長について、ですよ」

 

 

「そういえば、入学式のときもいなかったね」

 四月の入学式を思い出しながら、るうは言った。確かあの時には、学園長の代わりに他の魔導師が挨拶を務めていたのだ。そのあとも学園長を見かけることはなく、写真すら飾られていない。謎と言えば謎の人物だ。

「そうだったか?」

「うん、代理の人が挨拶してたよ」

「うーん。確かに、学園長の顔見たことないな」

 ずず、とお茶を啜る。マスムラが素早く手帳を取り出した。

「それでちょっと気になったので調べてみたんです。上級生に聞き込みしたりして。面白い情報が出てきましたよ」

「へえ? どんな?」

「では、まずは与太話の類から」

 マスムラの手がページを捲る。

 

 曰く、学園長は幽霊である。

 学園長は人間ではない。

 生徒に見つからないよう、魔法を使って隠れている。

 森の滝を一夜にして涸らした。

 人工妖精を大量発生させた。

 

 マスムラの巧みな声色にかかると、与太話というよりは怪談話に聞こえてくる。るうは青ざめた。

「挙句の果てには、学園長という人物は存在しないという噂までありました。聞き込みをした感触から言わせてもらうと、今言った噂たちは学園長の不在にかこつけたデマですね。噂が広まるうちに、余計な尾ひれがついていったんだと思います」

「なんだか、怖い噂が多いね」

 学園長はまるで人間扱いされていない。これでは神出鬼没のお化けと同じだ。

「まあ、学校に怪談はつきものだよな」

 からっとした口調で頷くのは瑞樹だ。

「みーちゃん平気なの?」

「何が?」

 けろりとした瑞樹の表情を見て、あ、しまったと思ったるうだったが、時すでに遅し。

「はっはーん。どうやら吹雪さんは、怖いものが苦手のようでございますねえ」

「べ、別に……平気だもん」

「そうかそうかあ。るうは怖いの駄目かー」

「みーちゃんの意地悪!」

 行儀悪く椅子を後ろに傾け、瑞樹はにやにやと笑う。

「まあ、これでるーちゃんがホラー大好きだったら、それはそれで嫌ですけどねえ。キャラ的に」

 しみじみと言うマスムラに、瑞樹が「だろ?」と答えた。

「どういうこと?」

「気にすんな。るうはそのままでいいってことだよ」

「うー。そうやってごまかすんだから……」

 るうはしぶしぶ引き下がった。

「それで? 続きがあるんだろ、マッスー」

「勿論ありますとも」

 マスムラが咳払いをする。

「私が気になった噂が三つあります。一つ目は、『学園長には使い魔がいる』ということ」

 ぴく、と瑞樹が反応した。

「学園長は使役系なのか?」

「おそらく。そして二つ目は、『使い魔は鳥である』ということ」

「鳥かあ。じゃあ、最後の噂はどんなのなの?」

 マスムラは少し間をおいてから口を開いた。

 

「個人的に、とても興味深いです。『学園長の使い魔は、生徒の願いを叶えてくれる』。――たいへん、魔法学園らしい噂じゃありませんか?」

 

「願いごとを……?」

 使い魔が叶える?

 るうは目を瞬いた。

「そういう噂ですけどねえ」

 ぱたんと手帳を閉じたマスムラは椅子から立ち上がった。

「とまあ、私が調べたのはこんなものです。まだまだ調査が必要なので、今日はこの辺で。あ、お二人とも、レクリエーション頑張ってくださいね」

 軽く手を振ると、マスムラは集会室を出て行った。

 るうがすっかり冷えたミルクティーを一口飲んだところで、瑞樹が組んでいた腕を解いて伸びをする。

「願いごとねえ……るう、お前なら何願う?」

「あたし? ううーん、どうだろう」

「ま、噂なんか、本気にするもんじゃないけど。使い魔が願いごとをかなえるとか、ありえないし。」

「ありえないの?」

 るうはきょとんとして尋ねた。

「使い魔って、人間の魔力で作られたものだからな。できることは限られてるよ。使役者の力量によっても使い魔の質は全然違うし」

「そうなんだ」

「私の弦もまだまだ弱いよ。狼の形にはなってるけど、できることは走るとか、噛みつくとか、そんなもんだし。プロの使役系魔法士なら、もっとすごい使い魔持ってる人もいるよ」

 瑞樹はうっとりとしながら続けた。

「たとえば、多頭使いのウルフさんとか……めったにメディアには出ないけど、ほんとにすごいんだよ、この人。一匹だけでも大変なのに、何十って使い魔出せるんだよ。しかも同時に! いっぺん会ってみたい」

「みーちゃん、詳しいんだね」 

 すると、瑞樹はちょっと顔を赤くした。

「まあ使役系界隈では有名な人だし……」

「みーちゃんはウルフさんが好きなんだねえ。そっかそっかあ」

「え、ちょっとるう? るうさん? その言い方は語弊があるんだけど」

「そっかあ」

「なんだよもう! るうの馬鹿!」

 覚えてろよー!と瑞樹は叫んで机につっぷした。

 るうは笑いながらその肩を叩く。

「ごめんごめん、ちょっと楽しくなっちゃった」

「語った私が馬鹿みたいじゃんか……」

 いじけた目で瑞樹はるうを見上げる。

「るうだって憧れの魔法士ぐらいいるだろ? こんな風になりたいって思えるようなやつ」

 るうは首を傾けた。

「うーん、あたしは……よく分かんないなあ」

 実家には魔法士もよく出入りしていたが、それが当たり前だと思っていた。だから、思い入れのある魔法士、と言われると困ってしまう。

「魔法を使えるのはすごいと思うんだけど、あたし、まだ自分がどの魔法傾向かも分からないし……憧れるのはまだ早いっていうか……」

「なんだそれ、固いなあ。単純に、好きって思える魔法を使うやつでいいんだよ、そんなの」

 るうは瑞樹をまじまじと見つめた。

「それじゃあ」

「うん?」

「あたしは、み、」

 そこまで言って、るうは顔を伏せた。頬が熱くなっているのが自分でもわかった。

「え、なんだよ、るう。続きは?」

「な、なんでもない……」

「ずるい! 私には暴露させといて!」

「みーちゃんが勝手に喋っちゃったんでしょ!」

 机を回り込んできた瑞樹が、るうをくすぐって口を割らそうとする。るうが逃げようとすると、背後から覆いかぶさった。

「もう、重いよみーちゃん!」

「いうまで離れないぞ、さっさと教えろ!」

 るうは声を上げて笑った。

「教えないよ!」

 

 

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