第二章 交流
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雑賀は職員室のドアを開いた。
中にいるのは、Aクラスの担任である北原魔導師だ。他の魔導師たちは皆出払っている。
魔導師たちの仕事机は、その人らしさが如実に表れていた。職員室の奥にはホワイトボード。そのすぐ前にあるのが小林魔導師の席だろう。艶やかな木目の机と椅子が置かれている。古びた表紙の書物が積み重なっているが、雑然としているわけではない。他の魔導師の仕事机には、空の金魚鉢が置かれていた。バインダーがまとめて山になっていたりもする。
その中でも目立っていたのは、青いビニールシートを被せられた檻だった。中には何もいないようだったが、大人が一人入ってしまうほど大きい。ビニールシートの端は鋭い爪で引き千切られたようにぼろぼろだった。
北原魔導師は日当たりのいい窓際の椅子に座り、なにやら書き物をしていた。コーヒーの香りが漂う。白い机の隅に、灰色のマグカップが置かれていた。
雑賀が「先生」と声をかけると、椅子を回して振り返る。
「おう雑賀。来たか」
「はい。何かご用でしょうか」
「うん。ちょっとこっちの書類、書き上げちまうから、座って待っててくれ」
雑賀に椅子を勧めると、北原魔導師は背中を丸め、机に覆いかぶさるようにしてペンを動かし始めた。
「昨日の実習、ご苦労さんだったな。手本とか面倒だっただろ?」
「いいえ。あの程度なら、いつでも仰ってください」
「助かる。クラスに『魔法持ち』がいると、授業が捗る。そして俺の仕事が楽になる」
生徒の前で言うことじゃねえな、と教師らしからぬ言い草を自分で笑う。
「人前に出るのが恥ずかしいって奴もいるし……まあ微妙な年頃だからな。雑賀は慣れてるみたいだな」
「慣れているかはわかりませんが……人前でもあまり緊張はしません」
「最近のガキは肝が据わってんな」
ペンを投げ出した北原魔導師は、机の引き出しから一冊の本を取り出した。深い藍色の装丁。少し紙が黄ばんでいる。
「これ。お前が前に言ってたやつな。実習で手本を見せてくれた礼ってことで、貸してやる」
雑賀は立ち上がってそれを受け取り、頭を下げた。
「すみません。お手間を取らせてしまって」
「ま、かわいい生徒の頼みだからな。読み終わったら返しに来てくれ」
「分かりました。失礼します」
踵を返そうとしたところに、
「雑賀」
「はい?」
「能力系の魔法持ちは、自分の魔法を見せるのを嫌がるやつが多い。俺が頼んだこととはいえ、お前はよく引き受けてくれたな」
雑賀は微笑した。
「Aクラスのためになるのなら、それは僕としても嬉しいことですから」
「さすが学級委員長。考えてることが普通のやつとは違うな。じゃ、今後もよろしく」
北原魔導師はにっこりと笑って片手を振った。雑賀は入り口で一礼すると、外に出てドアを閉めた。
「おっせーよ、ユキ。何してたんだよ」
職員室から出てきた雑賀を出迎えたのは、ルームメイトの鈴木カズマと新田俊成だった。雑賀とはクラスが分かれてしまい、二人ともBクラスである。
「北原先生のお呼び出しでね。すまない」
「またお手本になってくれって?」
「いいや、頼んでいた本を貸してくれた」
鈴木が雑賀の持つ本に目をやった。
「本? ……ああ、それか。何の本だ?」
「ここの図書館には入っていない本だ。魔導師に頼んでみてよかったよ」
雑賀から本を受け取り、ぱらぱらとページを捲った新田は顔を顰めた。読めない。外国語らしき文字がぎっしりと書き込まれている。
「何だこれ? 英語か?」
「この総合魔法学園の創立について書かれたものだ。昔の本だな」
「うげ。俺、古本の匂い駄目なんだ」
舌を出してげえげえ吐く振りをする。鈴木が新田と同じようにページを捲ってみて、軽く溜息をついた。
「成程な。学園についての記録か」
「カズマ、お前読めんの?!」
「まさか。ユキがそう言ってただろ」
「んだよ、ややこしい言い方しやがって」
口を尖らせて新田は廊下を歩き出した。雑賀と鈴木もそれに続く。
雑賀は鈴木の手元にある本を一瞥して言った。
「全国に三つある魔法学園の中で、最も古いのがこの総合魔法学園だ。ほんの数十年前、たった一人の人物によって造られたと言われている。僕は、その創立者について知りたいんだ」
「ユキは勉強熱心だな」
鈴木は本を雑賀に返すと、笑いながら「トシ、お前も見習ったほうがいいんじゃないのか?」とからかった。
「読んだら俊成にも教えてやろう。自分の学園について知ることはいいことだ」
「遠慮したい。むしろ断固拒否する。俺、小説とか読めないんだよ」
鈴木は首を振ってみせる。
「諦めろトシ。ユキはやると言ったらやる奴だ。何があっても絶対にな」
「この野郎。からかいやがって」
鈴木に向かって凄んだ新田だったが、軽く手を挙げると快活に笑った。
「じゃっ、俺は部活があるんで、先行くわ」
「ああ、また夕食のときにな」
「おう、じゃーな」
新田はさっと身を翻して、廊下を走っていった。
それを見送り、鈴木は横を向いた。雑賀が手元の本に視線を落としている。
「先生、なにか言っていたか? レクリエーションについて」
「いや、特には。北原先生は、実習のとき、何か含みのある言い方をしていたが」
北原魔導師ののらりくらりとした言動を、どこまで本気と受け取っていいのかは疑問だった。昨日の実習では、雑賀が『魔法持ち』としてクラスメイトの前に立った。北原魔導師に頼まれてのことだったが、能力系の魔法を使うのは北原魔導師も同じことだ。
――悪いね、俺の魔法はまだ見せられないから。
――レクリエーションまでは。
「中学の時は、クラスマッチとかがあったけどな。今度のレクリエーションもあんな感じかな」
「どうかな。単なるスポーツ大会とは思えない」
鈴木は「確かにな」と頷いた。用心するにこしたことはないだろう。なんといっても、ここは総合魔法学園だ。何が起こるとも限らない。
講義棟と講義棟を結ぶ渡り廊下に差しかかったとき、見覚えのある後姿が向こうへ歩いていくのが見えた。
髪を一つ結びにした女子生徒。
「あれ、ユキが言ってた佐久良椿じゃないか?」
雑賀は立ち止まった。鈴木が指差す方向を目線を向ける。
「……そのようだな。何をしているんだ?」
「さあ。でも確か、向こう側にあるのは大学部の講義棟じゃないか?」
二人は黙って目を合わせた。
高等部の生徒が、無断で大学部の敷地に入ることは禁じられている。
口を開いたのは雑賀だ。
「……カズマ、悪いが」
「席を外せって? はいはい、分かったよ。先に寮に戻ってる」
「佐久良」
「……雑賀か」
「そちらは大学部の敷地だが、何か用でも?」
背後からの問いかけに、椿はゆっくりと振り向いた。こちらを観察するような様子の雑賀と正対する。そうすると、雑賀の目に緑色の光が見え隠れしているのが分かった。
「……展望台があると、昔聞いたことがあったから」
ぼそりと呟く。雑賀が目を瞬かせた。
「展望台? 初耳だな。そんなものまであるのか、この学園は」
「どこにあるのかは、開示されていない。魔法で隠されているらしい」
「そこに行くのか?」
椿はかぶりを振った。
「大学部の学生にしか解放されていない場所だ。以前は、そこにこっそり忍び込むことが、高等部では流行っていたとか」
雑賀が椿の横に並んで、大学部の講義棟を見上げる。高等部のものより大きく、華やかな装飾が外面を飾っている。周囲に柵や塀があるわけではない。なのに、どこか易々と人が入り込むことを許さない雰囲気を漂わせていた。そういう線引きを超えることが、昔は度胸試しと見なされていたのだろう。
「忍び込む、か……成程」
雑賀は少し考え込む様子を見せた。
「やってみようか?」
「は?」
「僕と君で。侵入禁止の展望台に忍び込むのさ」
椿は溜息を吐く。
「まさか。大学部は高等部よりも広いぞ。迷ってしまうのがおちだ」
「そうかな」
「そうだ。それに、仕掛けを動かさなければ、展望台を隠している魔法は解けない」
「仕掛け?」
首を傾ける。椿はすらすらと淀みのない口調で説明した。
「大学部の講義棟内には、展望台を隠す魔法があちこちに仕掛けられているそうだ。それらを全て破って、初めて展望台に行き着くことができる。そういう仕組みになっているらしい」
「大がかりな仕掛けだな」
今度は雑賀が溜息を吐いた。
「高等部の講義棟は中学の校舎とそう変わりないというのに。違うのは講義室の扉くらいか」
――それだけではない。
そう言いたいのを椿は堪えた。
意外にも、雑賀は展望台に興味を持ったらしい。一人でぶつぶつ呟いていたが、顔を上げると口角を上げてみせた。
「秘匿の魔法か……腕試しになりそうだな。仕掛けを見破るぐらいのことなら、今の僕にもできそうだが」
ぎょっとして椿は雑賀の顔を見た。
「本気で言っているのか? 大学部のレベルについていけると?」
「勿論本気だとも。問題は、見破ったそのあとだ」
両目を細めて雑賀は薄く笑う。
「魔法を見破れても、それを解く力がなければ意味がない」
「……鈴木や新田がいるだろう」
「君は?」
椿は黙り込んだ。雑賀が次に言う言葉がなんとなく分かるような気がした。
「君も『魔法持ち』だろう?」
「……」
「どうして、隠そうとするんだ?」
「あまり……」
重たげに口を開く。
「……注目を集めたくない」
「君の成績はAクラスでも上位だ。今更では?」
「成績のことをいうなら、お前のほうが上じゃないか」
雑賀は本の表紙を人差し指でなぞった。
「自分自身を隠そうとするあまりに、君は周囲から孤立している。僕にはそう見えているよ」
「……お前の魔法は、いいな」
雑賀からそっと顔を逸らす。
「だが、魔法というものは、お前が思うように単純なものではないんだ。見破るだけではどうにもならないこともある」
「分かるよ」
雑賀は頷いた。雑賀の魔法はあらゆるものを見破る。しかし、それだけだ。実際に、目に見える分かりやすい形で何かに働きかけることはない。見通すだけの魔法に雑賀は満足していなかった
力がなければ、何も変わらない。
「君の魔法も、僕と同じなのか」
「いや……」
椿は片手で髪を撫でつける。少しだけ俯いた横顔は静かな表情を湛えていた。その一方で、頭の中で目まぐるしく考え事をしているようにも見えた。
「雑賀」
「うん」
「お前の魔法は……いいと思う。本当に」
「それはさっきも聞いたが」
雑賀はいつもより明るい声で答えた。
「――本心だ」
噛み締めるように椿は言う。そして、臆することなく雑賀と真正面から目を合わせた。