第一章 入学
09
小屋の中には家具が一切見当たらなかった。生徒たちの授業のため、取り壊すだけの丸太小屋だ。家財道具が備えられているわけもない。ただ、窓は二つほど設置されていた。
「しばらく女子会タイムな」
さらりと言い放つ瑞樹にるうは戸惑いを感じた。
「みーちゃんあのね。あたし、やる気がないわけじゃないんだよ? 課題もちゃんと熟さなきゃと思ってるし、頑張るつもりだよ。……でも今回は、ちょっと無理かなあって思っちゃうんだよね」
「そう?」
「そうだよ。先生から何も教えてもらってないし……みーちゃんだって大変だろうし」
るうは目を伏せる。
ふうん、と瑞樹がつまらなそうに相槌を打った。
「そのさ、私が大変ってところなんだけど。一人で課題やってるわけじゃないし、るうも高槻もいるんだし、別にどうってことなくない? ほら三人寄れば文殊の知恵とか言うじゃん」
「あたし、できないし……」
「まだ分かんないだろ。今のところ、使役系の私より、るうのほうが可能性あると思うんだけど」
「それは……」
瑞樹の言っていることは、るうにも理解できた。
けれども、そうやって頭で考えてすっきりするような問題ではないような気がしていた。
「そうだよね。あの、でも、本当にできるのかなって……」
今まで体育の授業ばっかりだったし、とそこまでは言わずに口を噤む。
るうの躊躇いはそんなところからきているわけではないのだ。自信がないのは、るうが昔から何一つ最後まできちんと成し遂げたことがないからだ。
総合魔法学園に入学して、一応の目的ができたと思っていた。
魔法士になればいい。
だが、椿の言葉が胸に刺さる。
「やっぱり、あたしはみーちゃんや椿ちゃんみたいにはなれないよ」
「おい、るう?」
俯いたるうの肩に瑞樹の手が置かれる。
「何言ってんだよ急に。意味分かんないけど」
「ごめんね」
「だから、何で謝るんだよ?」
どんどん小さくなる るうの声に瑞樹は狼狽えた。
「悪い、私の言い方きつかった? あのさ、別に責めてるわけじゃないんだよ。ただなんか、お前らしくないこと言うから気になって……お前魔法とか好きなのに、今日は乗り気じゃないっぽいから、もしかしたら疲れてんのかなって思って」
「つ、疲れてないよ」
「でも泣きそうじゃん」
瑞樹は腰を屈めてるうの顔を覗き込んだ。
「最近ずっと体育ばっかだし、自分で気づかないうちに疲れがたまってるのかもよ。私もそういうことよくあるからなあ。まあ、私の場合は疲れすぎて逆にハイになるんだけど」
そして涙目のるうに笑いかける。
「なあ、るう。私と初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「……うん、覚えてる。保健室でのことだよね」
「そうそう。あの時さあ、お前、私にどうして習ってもいない魔法を使えるんだって聞いただろ。私はなんとなくできるようになった、とかなんとか答えたと思うんだけどさ」
「うん。言ってた。自然にできるようになったって」
少しだけ顔を上げる。
「確かに自然にだったんだけど……るうは、そこをちょっと勘違いしてる気がするんだよね」
瑞樹が「なんていうかさ、」と頭を掻く。
「自然に魔法を使えるようになったって言ったのはさ……うん、正確にはそうじゃなかったな。うちは剣術道場やってたし、そこには魔法士候補の人たちがたくさん出入りしてて、子どもだった私が使役系だとか道具系だとかの魔法を目にすることも、なにかと多かったのは確かなんだけど。でも、そこからひとっ跳びで、いきなり魔法が使えるようになったわけじゃないんだよ」
「……そうなの?」
「そう。私別に、天才魔法少女ってわけじゃないから」
るうはしばらく瑞樹の顔を真正面からまじまじと見つめていたが、不意に我に返って頬を赤くした。
「あ、あれ? それじゃあ、その」
「イメージぶっ壊したかもしれないけど、私もこつこつ練習して『魔法持ち』になったから。初めから、ぽんぽん使い魔出せたりしてないよ」
るうはかっと熱くなった顔を両手で挟み込んでその場にうずくまった。
「ううっ……みーちゃんひどい。何で黙ってたの……」
「黙ってたっていうか」
瑞樹は真面目な表情を繕おうとして失敗していた。
「いやこれ、私のせいになんの?」
「あう……ごめんなさい、全部あたしの妄想でした……」
「いやいや、そこまで言ってないけど」
瑞樹はるうの傍にしゃがみ込んだ。
「お前、疲れてんだよ、やっぱり。何考えてんのか知らないけどさ、そんな気張んなくていいだろ。まだ始まったばっかだぜ」
「……うん、そうだね」
るうは素直な気持ちでその言葉を聴いていた。
うまくやらなければ、と思い込んでいた。けれど、今までうまくできたことのない自分では、結局失敗してしまうのだ、と捨て鉢になっていた。始めから、できないと突き放すことで、失敗する自分を認めようとしていたのだ。
急いていた。しかし、瑞樹の言う通りだ。
大丈夫。これからだ。
「ごめんね、みーちゃん。あたし先走りすぎてたかも」
「大丈夫か?」
「うん、多分。泣いちゃったりしてかっこ悪いね、あたし」
「それでいいだろ。すっきりしたんなら」
瑞樹はるうの背中をばし、と叩いて立ち上がる。
と、そこへ高槻がドアを開けて外から顔を出した。
「おい、まだかよ。小林先生がすごい目付きでこっち見てんだけど」
「げ、やばい。タイム終了だな。るう、立てるか?」
瑞樹の手を取って立ち上がったるうの様子に、高槻が目を細める。
首を少し斜めに倒すと、冷めた目線を瑞樹に向けた。
「話は纏まったわけ?」
「やだ拾ちゃん、女子会の内容聞きたいの?」
「女子会? サバトの間違いだろ」
おどける瑞樹に取り合わず、高槻はるうに向かって言った。
「俺もできる限り協力するから。吹雪もやるだろ?」
「え……あ、うん。もう大丈夫」
「それ、絶対だからな」
るうは頷いた。
やってみよう。とにかく、そうするしかないのだ。
「みーちゃん、魔法の使い方、教えてくれる?」
るうは工具箱まで歩いていき、もう一度バールを握った。
瑞樹を振り返る。
「いいよ、勿論。お前らがやってくんないと、この課題クリアできないからな」
瑞樹はぐっと背伸びをしながら答えた。
高槻が「残り時間少ないぞ」と腕時計を叩く。
「俺らはどうすりゃいいの。さっさと教えろよ、霧島」
「はいはい。じゃ、まずは私の魔法を見てもらってからにしようかな」
にやりと笑った瑞樹は、右手の指をぱちんと鳴らした。
すると、足元の影がゆらりと形を変え始めた。