第一章 入学
03
高等部一年の学年主任であるという小林魔導師は、見るからに厳格で隙のない女性だった。新入生を集めた教室で靴音も高く教壇に上り、生徒たちをしっかと睨めつける。
「――まずは歓迎の意を表します。新入生の皆さん、ようこそ総合魔法学園へいらっしゃいました。これからはこの学園があなたがたの住まいに、そして学び舎となります。我々魔導師も、あなたがたに魔法を教え、導く者として些かも助力を惜しみません。我々はあなたがたに――、」
そこで小林魔導師は生徒たちをぐるりと見回した。
「魔法士となってもらうべく、全力を尽くします。皆さんもご承知の通り、魔窟から得られるエネルギーは今ではわたくしたちの生活には欠かせないものとなっています。しかし、それも魔法士が魔力の扱いを極めているからこそ。そして人々を守り、支えようという強い意志を持っているからこそ成り立っています。あなたがたはそのような厳しい道の始まりに今日このとき、立っているのです。その長い道のりの第一歩を踏み出して頂けたことに感謝いたします。そして是非とも、これからの学園生活を大いに楽しみ、また勉励して頂けるものと期待しております」
一気に喋り倒した小林魔導師の弁舌に気圧されてか、新入生からの拍手は控えめだった。そのあと億劫そうに前へ出てきたのが猫背気味の北原魔導師だ。
「じゃあ、今日はこれで解散とする。みんな、人工妖精から今後のスケジュールについては聞いてるな? 終業前に聞いとけよ。妖精らは終業時間を過ぎると巣箱に戻るからな。男子は俺についてきてくれ。女子は小林魔導師が寮まで案内する。各自荷物を寮の入り口で回収すること!」
「では女子の皆さん、わたくしについてきてください」
新入生は男子と女子に別れ、それぞれの魔導師に従って教室を出ていった。
ぞろぞろと長く続く行列に混じって廊下を歩いていると、後ろからるうの肩を叩く手があった。
「よっ、るう」
「あっ、みーちゃん!」
「何それ、私のこと?」
瑞樹はるうの肩を抱いてにやりと笑う。そんな風に顔を覗き込まれながらも、るうはしっかりと頷いた。
「うん、みーちゃんって可愛い呼び方だと思って! あ、でも、嫌なら止めるけど……」
「いーや、いいよ。こっちも名前、呼び捨てにしてるし」
「ほんと? ありがとうみーちゃん」
るうはぱっと顔を上げた。この学園に入って初めての友達だ。しかも瑞樹は寮でのルームメイト――白のガーベラの持ち主だ。保健室では人工妖精のボールや使い魔に驚かされたものの、こんなにすごい人と同じ部屋になれるのがうれしかった。
「でもみーちゃん、ガーベラのこと、もっと早く言ってくれればよかったのに。何で黙ってたの?」
「だってそのほうがるうが驚くと思ってさ」
寮の玄関前に出ると、小林魔導師は女子生徒たちを振り返って大声で呼びかけた。
「こちらが一年女子寮となります。玄関に皆さんの荷物が届けてありますので取り間違えのないよう、注意してください。部屋の振分けは皆さんの胸花が示しています。鈴蘭の胸花のかたは鈴蘭の部屋に、秋桜のかたは秋桜の部屋です」
「るう、行こうぜ」
瑞樹は人込みの中をすいすいと進んでいった。るうは遅れないように足早についていく。
山となった女子生徒たちの荷物からるうのトロリーバックを引っ張り出したのも瑞樹だった。
「ありがとみーちゃん。……って、みーちゃんの荷物、それだけ?」
黒いリュックサックが一つきり。しかも中身は半分ほどしか入っていない。るうは心配になったが、瑞樹は涼しい顔をしていた。
「うん、こんだけ。とりあえず着替えだけ持ってきていれば何とかなると思ってさ。あとは学園の売店なんかで揃えるつもり」
「でも弦ちゃんのご飯とかは? さすがにペットのご飯は売ってないんじゃないかなあ?」
「ははっ、大丈夫だって!」
瑞樹はるうの頭を自分の使い魔にするようにくしゃくしゃっと掻き混ぜた。
「弦は私の魔力そのものだよ。だからご飯を食べたりする必要はなし。私が元気で腹一杯なら弦もそうなんだよ」
「そ、そうなの?」
るうは乱れた髪を慌てて撫でつける。
寮の玄関を通り過ぎると、広めの集会室があった。壁に掲示板があり、寮の見取り図が張ってある。一年生だけしかいない寮にも、娯楽室や学習室、給湯室に大浴場などが備えられており、なかなかゆったりと過ごせそうだった。
集会室の奥に古びた振り子時計が置かれていた。カチカチと音を立てていたその時計の針は、ちょうど十七時になろうとしていた。
コーケコッコー。
コーケコッコー。
不意に、鶏の鳴き声が部屋の中に響き渡った。
「えっ、何の音?」
るうが辺りをきょろきょろと見回すと、人工妖精が空中で見事な一回転を見せて、るうの鼻先にその小さな両手をそっと置いた。花の香りがふわりと漂う。
『吹雪るう様、課業終了のチャイムが鳴りました。本日の業務は終了いたしましたので、ワタシはこれで失礼させて頂きます。明日の業務は午前九時からとなっておりますので、それまで何か御用がございましたら寮長か管理人のかたにお問い合わせください』
と、人工妖精は一気にまくしたてると、今までに見た中で一番素早く翅を震わせて、他の仲間たちと共に細く開いた窓から外へと飛び去って行った。あっという間の出来事に、るうは呼び止めることもできなかった。
「なんだあいつら。部屋まで案内してもらおうと思ってたのに。この地図、ガーベラの部屋、どこにもないんだけど?」
掲示板の見取り図を眺めて瑞樹が言う。
「ガーベラのお部屋……ほんとだ、ないね」
「ぐるっと部屋見て回るしかないか」
生徒たちの部屋は二階から四階まであった。るうは、階段を上るときには瑞樹の手を借りながらトロリーバックを運び上げ、各部屋を一つ一つ確認していった。風信子、白詰草、孔雀草。牡丹、馬酔木、撫子。春の花もあれば、夏の花もあった。しかし、ガーベラという文字はどの階にも見当たらない。
困り切った二人は一階に戻ることにした。
「ないね、ガーベラ。見落としたのかなあ」
「管理人さんに聞くにしても、その管理人さんがいないしな。あ、ちょっと待ってろ、るう。あそこの人に聞いてくる」
瑞樹は集会室の掲示板の前にいた女子生徒に声をかけた。
何か書き物をしていた女子生徒は、眠たげな目を瑞樹を向ける。
「何か御用ですか?」
鈴を転がすような声だ。瑞樹は女子生徒と丁寧に視線を合わせてから口を開いた。
「ガーベラの部屋を探してるんだけど……あんた知らないかな? 部屋を全部見て回っても、見つかんなくて困ってんだ」
「ガーベラ?」
女子生徒は瑞樹の胸元を見下ろしてそこに花がないことに気付くと、傍にいたるうの胸花に目を移して頷いた。
「ああ、確かにガーベラの花ですね。でも、ガーベラの部屋は探してもないと思いますよ」
「どういうことだ?」
女子生徒はメモ帳を仕舞うと、足元に置いていた手提げ鞄から一冊の本を取り出した。「これ、植物図鑑ね」とページを捲っていく。
るうと瑞樹は顔を見合わせた。ここでどうして植物図鑑が出てくるのだろう。
「ああ、あった。ガーベラ……キク科の多年草。南アフリカ原産。十九世紀後半に発見。明治の頃に日本に渡来。異和名は阿弗利加蒲公英、阿弗利加千本槍、または花車」
どうだと言わんばかりに女子生徒は二人を見る。
「え、えーと、ガーベラってそういう花だったんだあ……?」
「意味わかんねー。アフリカがなんだって?」
るうも瑞樹も揃って首を傾げる。女子生徒は図鑑のページを二人の前に差し出し、ガーベラの欄を指で叩いた。
「ほらここ。ガーベラは別名がいくつもあるんですよ。ここの寮は部屋に花の和名を使っているから、探すならガーベラの部屋じゃなくて……」
「そっか! 分かった!」
るうはぱちんと手を打った。
「阿弗利加蒲公英か阿弗利加千本槍か花車の部屋を探せばいいんだね!」
「そういうこと」
女子生徒は片目を瞑る。
「あー、アフリカタンポポだっけ? そんな長ったらしい名前の部屋、あったか?」
瑞樹は口をへの字にして、るうに尋ねた。
「ううん、なかったと思う。じゃあ阿弗利加千本槍かな?」
「それも長過ぎだろ……そんな名前使うくらいなら素直にガーベラって呼ぶわ」
「じゃあ後は……」
るうはもう一度図鑑に目を落とした。
「花車ですねえ」
女子生徒がにっこりと笑って言った。
ガーベラ、もとい花車の部屋は四階にあった。図鑑を持っていた女子生徒と一階で別れ、四階にたどり着いた時には、るうは肩で息をしていた。
「だから私が代わってやろうかって言ったのに」
こちらは汗一つかいた様子もなく、瑞樹が言う。るうは首を横に振った。瑞樹も一緒にトロリーバックを持ってくれたのだ。それでいてこの体たらくなのは、るうに体力がないだけだ。さすがに二度目は疲れてしまった。
「い……いいの、大丈夫。あたし、色々と詰め込んじゃって荷物重くしちゃったもん」
「このぐらい、余裕余裕」
るうからトロリーバックを奪い取ると、ごろごろと引っ張っていく。
四階のちょうど真ん中辺りに花車と書かれたドアがあった。丸い取手にうっすらとガーベラの花が彫り込んである。瑞樹はノックもせずにドアを開けて中へ入っていった。
ちょっと小奇麗なホテルの一室、といった感じだろうか。手洗いやシャワールームは勿論のこと、簡単な料理ぐらいは作れそうな台所まである。大きな窓の向こうにはベランダがあり、籐椅子が三脚置かれていて、いかにも座り心地がよさそうに見えた。 ベッドはというと、今瑞樹が立っている一番広い居間から、また更に奥に行ったところに一つ、少し間を空けてもう一つあった。その入り口は厚手のカーテンで仕切られるようになっている。
「すっ……げー部屋! 一人一台ずつベッドがあるの? うわ、感激!」
そう言うと瑞樹は居間のソファに勢いよく身を投げた。ぼふんっとクッションがその体を受け止める。
「さすが金持ち学校! いいね、私こういう部屋に一度住んでみたかったんだよなー。家は和室しかなかったし」
「みーちゃんのお家って、剣術道場なんでしょ?」
続けて部屋に入ったるうも「わあ、綺麗なところだね!」とはしゃいで窓に駆け寄った。
「うん、そう。でも自分の部屋とかなくて、兄貴二人と同じ部屋だった。寝る時も布団だし。ベッド初めてだわー」
「そうなの? あたし、お布団で寝たことないなあ」
「まじか、さすが吹雪家」
窓からは夕日に赤く染まった空と、講義棟を見ることができた。遠くには生い茂った木々の天辺が少しだけ覗いていた。広い、大きな学園だ。るうは改めてそのことを間近に感じた。
「痛っ!」
部屋の散策をしていた瑞樹が何かに足を引っかけた。入り口からすぐ右手にあった引き戸を開けようとしたときのことだ。
足をぶつけたのは本がぎっしりと詰まった段ボールだった。
「何だこれ? おいるう、これ、るうの荷物か?」
「ううん、あたしのはトロリーバックだけだよ。みーちゃんのじゃ……」
「ないない。本なんかわざわざ持ってこないって。それにこの本、小説とかじゃなくて学術書だぞ、全部」
何冊か段ボールから取り出してページを捲る。
「うわ、難しそうなやつばっか。別の部屋の荷物が間違ってこっちに来たのかな。誰のだ、これ」
「どうしよう、先生に知らせたほうがいいのかな」
持ち主の名前でも書いてないだろうか、とるうもしゃがんで本を手に取った。奥付やカバーなどを見てみるが、手掛かりになりそうなことは書かれていない。箱の中の本を全部確認してみたが徒労だった。
「どうするかなあ。明日、妖精に頼んで持ち主探してもらうか?」
瑞樹は一冊の本を親指と人差し指で挟んでぶらぶらと持ち上げた。
そうだね、とるうが頷こうとしたとき、玄関のドアが外から開いた。
振り返った二人の視線を受け止めたのは、黒髪を項で結んだ一人の女子生徒だった。
「――どちらが吹雪るうだ?」
静かな声が女子生徒の唇から零れた。その見事な黒髪に気をとられていたるうは慌てて立ち上がった。膝の上に置いていた本が音を立てて床に落ちる。
「あっ、ご、ごめんなさい! あの、あたしが吹雪るうです……」
「では、そちらが霧島瑞樹だな」
女子生徒の一瞥に瑞樹は顔をしかめた。
「そうだけど。あんたは? ここ、花車の部屋なんだけど」
「……佐久良椿だ」
「で、花は?」
椿は持っていた四角い鞄から胸花を取り出し、瑞樹のほうへ放り投げた。
萎れた白いガーベラが力無く床に落ちる。
「私も花車だ。……その本、返してもらえるか。そんな風に乱暴に扱ってもらいたくない」
椿はさっと段ボールの傍に膝をつくと、二人が散らかした本を手際よく戻していく。手伝おうとしたるうは、近くにあった本に手を伸ばしたが、椿のほうが速かった。
きつい目つきで睨まれる。
「手伝いは結構だ」
「う、うん。ごめんなさい……」
視線を合わせることが出来ずに俯いた。それを見た瑞樹が、あからさまにふざけた素振りで椿の肩に腕を回す。
「そんな冷たいこと言うなよ、椿ちゃん。勝手に荷物を開けたのは悪かったって。これから一緒の部屋で寝起きするんだしさ、」
「仲良くしようとでも言うつもりじゃないだろうな。生憎、私にそんな暇はない。他を当たってくれ」
椿は肩に置かれた手を素っ気なく振り払う。さすがの瑞樹もこの態度には腹に据えかねた。
「あー、そう。そりゃお忙しいところをお邪魔してすみませんでしたね。あ、私らは奥のベッド使わせてもらうんでそのへんよろしく。るう、向こうで荷物片付けようぜ」
「え、でも……」
「いーからいーから」
瑞樹はるうを引っ張って部屋の奥へと連れて行った。そこにはベッドが二台置いてある。しかし他には見当たらない。
不安に思ったるうは瑞樹を見上げた。
「ねえみーちゃん……」
「霧島、一つ言っておくぞ」
椿がすっと立ち上がる。椿の表情からは何の心情も読み取れなかった。
「――私に触らないでくれ」
そう言い捨てて、椿は先程瑞樹が開けようとしていた引き戸の中へ姿を消した。