第二章 交流
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第一チェックポイントの資料保管庫は一見巨大な箱に見えた。大理石を使ったその建物は正面に一つ出入り口があるだけで、他には扉もなく窓もない。少し浮き上がって見えるのは、箱が四本の柱の上に乗っているからだ。
そのたった一つだけの入り口で小林魔導師が るうたちを待ち構えていた。
「第一チェックポイントへようこそ。皆さんお揃いですね」
「は、はい。よろしくお願いしますっ」
ぺこりと頭をさげた るうに、小林魔導師は「それではこれを」と言って緑色の手鏡を差し出した。
瑞樹には白い木肌を持った一本の枝が、そして椿には群青色の盾が手渡された。
瑞樹が首を捻る。
「なんですか、これ?」
「道具系の魔法士が使用する『魔道具』です。魔物との戦いにおいて武器となります。わたくしの巻尺もそうですね。殆どの道具は魔窟の収穫物からできています。例えば、霧島さんの持っているその道具は、魔窟に生えているとある植物が材料になっています」
「ただの枝に見えますけど」
小林魔導師は瑞樹の枝にそっと手を触れた。
「うわっ」
瑞樹が目を瞠った。
ごつごつしていた枝の表面が、見る間になめらかになっていく。目に見えない手が、目に見えない工具を使ってただの枝をすらりとした木刀に仕上げていった。
「道具系の魔力傾向を持つ者が魔力を込めると、道具の力を引き出すことができます。霧島さんの魔力傾向は使役系に限定されているようですが」
「先生、これは生徒の魔力傾向を見定めるためのものなのですか?」
それまで沈黙を保っていた椿が尋ねた。小林魔導師は首を横に振る。
「魔力傾向はそう簡単に決定されるものではありません。このレクリエーションに生徒たちの素質を見る一面があることは確かですが」
「特定はできないのですね」
「勿論できません。……それが何か?」
「いいえ」
椿はすっと目線を下ろした。代わって るうが手を挙げる。
「あの、先生」
「なんでしょう吹雪さん」
「みーちゃんの木刀が武器なのは分かるんですけど……あたしの手鏡も武器になるんですか?」
るうの手元にあるのは古めかしい手鏡だ。楕円形の鏡面に取っ手がついている。
「勿論なります」
きっぱりと言い切ると、るうの戸惑いを無視して、小林魔導師は片手で資料保管庫の入り口を示した。
「この建物の中には魔窟から採集した鉱石、植物、ありとあらゆるものの標本がおさめられています。その中から、今皆さんが持っている道具の材料となった標本を見つけ出してください。それがこの第一チェックポイントの課題です」
これ以上の質問は受け付けないといった様子だ。
三人はそれぞれの道具を手に、資料保管庫へと足を踏み入れた。
中は明かりがぎりぎりまで絞られていて薄暗かった。三人分の足音が反響する。
「……んで、どうすればいいんだっけ?」
瑞樹がぐぐっと眉を寄せ、目を凝らした。それでも先はよく見えない。かろうじて、まっすぐに伸びる廊下があることが分かるぐらいだ。
「えっと、みーちゃんの木刀、あたしの手鏡、椿ちゃんの盾……この三つの道具の材料を探せばいいんだよね?」
るうはきょろきょろと辺りを見回した。
「みーちゃん? どこ?」
「後ろにいるよ」
瑞樹の低めの声が耳元で聞こえ、るうは飛び上がった。
「私の木刀は簡単だな。木でできてるから、それを探せばいい」
「木といっても、ここには色々あると思うが」
少し離れたところから椿の声がした。
「私の盾は青金石でできているようだ。先に行かせてもらうぞ」
「あ、待って、椿ちゃん。こんな暗闇の中なんだし、一緒に行こうよ」
おそらく椿がいる方向に向かってるうは話しかけたが、返事は返ってこなかった。
かつかつ、と廊下を進む一人分の足音がるうと瑞樹から遠ざかっていく。
「行っちゃった……椿ちゃん、大丈夫かな?」
「平気だろ。それより、私らも先に進もうぜ」
転ばないようゆっくりと歩き出す。しばらくして、るうと瑞樹は三つの扉の前に立っていた。
右端の扉には一振りの剣が飾り付けられていた。真ん中の扉と左端の扉にも丸い鏡と盾がそれぞれ掛けられている。
すでに椿の姿はなかったが、どの扉を通ったのかは予想がついた。
「あいつは多分、盾の扉に行っただろうな。そんで、私はこっちの扉か」
瑞樹は剣の扉の前まで進み出た。手鏡を両手で握りしめ、るうも鏡の扉を見上げる。重々しさを感じさせる扉だった。
「どうする、るう。私も一緒に行こうか?」
心配そうな顔をした瑞樹が鏡の扉に近寄って、その取っ手を掴もうとした。
しかし、瑞樹の手が触れるやいなや、取っ手は溶けるように水と化して流れ落ちてしまう。
驚いた瑞樹は慌てて手を引っ込めた。
「何だ? これも魔法なのかよ」
濡れた感触はなかった。瑞樹が一歩鏡の扉から遠ざかると、廊下に落ちていた水が宙に浮き上がり、再び扉の取っ手となった。
今度はるうが取っ手に触れる。変化はない。
「どういうことなんだろ? あたしが触っても、水にはならないみたい」
「剣の扉のほうはどうだ?」
結果として、剣の扉に触れることができたのは瑞樹だった。るうが触れようとすると、取っ手から異常な速さで蔦が伸び始め、扉を覆ってしまうのだった。
「一つの扉につき、一人しか通れないみたいだな」
瑞樹が剣の扉をノックしながら言う。
「みーちゃんが剣の扉、あたしが鏡の扉、それから椿ちゃんが盾の扉……」
「持ってる道具と同じ扉に進めってことだな。分かりやすくていいな」
「ここからは、一人で行かないといけないんだね」
そのるうの言葉に、瑞樹ははっとした。
「大丈夫か?」
「え?」
「お前、こういう暗いとこ、好きそうじゃないし」
るうは微笑んだ。
「大丈夫だよ。標本を探しに行かないと、課題がクリアできないもん。それに、椿ちゃんに頑張るって約束したしね」
「あいつの考え方に付き合ってたら、頭パンクしちまうぞ。何事もくそ真面目にやらなきゃ気が済まないやつなんだから。見てるこっちが肩凝ってくる」
瑞樹はぐるぐると右肩を回す。
「あたし、肩凝りってなったことないなあ」
「マジで? 羨ましいな、それ」
木刀を携え、瑞樹は剣の扉に手をかけた。
「じゃ、私は先に行くからな。標本を見つけたら、またここに集合ってことで」
「うん、分かった! みーちゃん、気を付けてね」
「るうもな」
それだけ言うと、瑞樹は剣の扉の中に姿を消した。
るうも鏡の扉へと向き直る。
「ようし……」
一度ぎゅっと目を閉じ、そして開く。
取っ手に手をかけると、扉はゆっくりと動き始めた。
るうは扉の向こう側へ、足を踏み出した。