第二章 交流
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名残惜しくも、桜の盛りが過ぎて花が散り終わり、青々とした若葉が枝に見えるようになった。
放課後、そんな葉桜の下で、るうは首から提げたストップウォッチをしっかりと握りしめて、校庭を見つめていた。
運動着姿の瑞樹がこちらに向かって走ってくる。るうとの距離は五十メートルといったところだ。
見る見るうちに距離が詰まっていき、地面に引いた白線を瑞樹の爪先が超えた瞬間、るうはストップウォッチのボタンを押した。
「――どうよ?!」
走り込んだ勢いをなんとか数歩で抑え込んだ瑞樹は、るうを振り返る。
「ええっとね、七秒一三!」
「嘘だろ、七秒切ったと思ったのに!」
「十分すごいよ! みーちゃん、足速いんだね」
尊敬の眼差しを向けられた瑞樹は、しかし不満そうに唇を尖らせた。
「五十メートルを七秒かあ。女子にしては速いかもしれないってレベルだ」
「そうかなあ。あたしなんか、十秒切ったことすら無いよ。みーちゃんが走ってるとこ、風みたいに速かったよ」
「サンキュ。ま、私もまだまだ鍛える余地があるってことだな」
そう言うなり、瑞樹は地面にうつ伏せになって腕立て伏せを始めた。るうは葉桜の幹を背もたれにして、その様子を眺めた。とにかく瑞樹は体を鍛えるのが好きだ。たとえ一日中体育の授業が続いたとしても、放課後になるとジョギングに出かけていくし、帰って来たら来たで、筋力トレーニングに勤しんでいる。いつも体を動かしていて疲れないのだろうか、とるうは少し不思議に思う。
「吹雪? そんなとこで何してんだ?」
「拾君。……と、りん君と鈴之丞君。どうしたの?」
るうに声をかけたのは高槻だった。その後ろに川上、海森といつもの面子が揃っている。確か、海森は柔道部に入部したと言っていたから、この時間は部活に出ていなければならないのではないのか。
高槻が言う。
「今日は海森の部活が無いんだよ。ってか、霧島はいないわけ? 何してんの?」
「今は腕立て伏せしてるから、あたしはその見学してるの」
ほら、と体をずらして、高槻たちに場所を譲る。
瑞樹はちらりと男子たちを横目で見ると、るうに言った。
「るう、ラスト十回カウントしてくれ」
「うん! いーち、にーい、さーん、よーん、」
「もうちょい速く」
「五、六、七、八、九、……十!」
「おーし、今日はこれで終わり!」
と、仰向けになったと思いきや、腹筋を使ってすぐに立ち上がる。
川上が「お疲れ様。いつもすごいね」と声をかけた。
「うん。今んとこ、部活入ってないから自分でやっとかないと」
「結局、剣道部には入らないの?」
瑞樹は唇を尖らせた。剣道部には、あの幼馴染の新田俊成が入部したと聞いている。先を越されてしまったのだ。
「思案中。戦闘訓練とかがあるなら、別に入らなくてもいいかなって」
「戦闘訓練?」
「魔窟に入って、魔物と戦うのが魔法士だろ? そういう授業もあるでしょ」
川上は曖昧に笑ってみせた。
「大学部ではそういうこともあるみたいだけど、俺たちはどうかな。まだ一年生だしね」
「早ければ早いほどいいと思うんだけどなー」
そんな瑞樹に「軍人みてえ」と呟いたのは高槻だ。川上と海森の二人に向かって言う。
「な、言っただろ。こいつ、女のくせにすごく好戦的なんだよ。マジ怖い」
「そりゃー、男が軟弱だからなあ。女がしっかりしなきゃな」
「お前の言う男って、もしかしてゴリラかなんか?」
「ああ?」
捻くれた高槻の口調に、低音の答えを返す瑞樹。仲が悪いわけではないのだが、軽口が軽口で終わらない二人だ。止めるべきかどうか悩んでいたるうに代わって、Aクラスの川上が間に入る。
「それはそれとして。高槻から聞いたんだけど、霧島さん、使役系なんだって?」
「うん、そうだけど」
「いつから?」
「結構昔から。小学生ぐらいだったかな」
実家が剣術道場で、と簡単に説明すると、川上は顎に手を当てて頷いた。
それを見ていたるうはつい、「りん君って」と口を開く。すると全員の注目を集めてしまい、少し赤くなった。
川上は笑って「俺が?」と先を促す。
「え、えーっと。全然大したことじゃないんだけど……りん君って、仕草がすっごくAクラスっぽいなと思ったの。顎に手を当てたりとか……ごめん、話の邪魔だね」
「ああそれ、俺もそう思う。頭いい人って感じ」
高槻がうんうんと頷きながら同意してみせた。
「でしょ? やっぱりAクラスの人は違うんだね。すごいなあ」
「いやいやいや……」
川上は海森と顔を見合わせ、それからまた瑞樹に向かい直った。
「実は、そのAクラスのことなんだけれど。昨日から、魔法実習が始まったんだ」
「――マジ?」
瑞樹の口がぽかんと開いた。
「Aクラスの担任は北原先生なんだけど、昨日、ホームルーム中にいきなり言い出したんだ。『今日から実習するぞ』って」
「軽っ! 北原先生、軽すぎだろ!」
「常時そんな感じの先生だよ。熱血ではないね」
Cクラスでは、丸太小屋の課題が終わったあと、体育一色だった授業にもようやく座学が組み込まれるようになった。ただ、補習の時間にも課題をこなすことができた者はいなかった。それ以降、一度も魔法実習は行われていない。
肩を竦める川上を覗き込むように、るうが尋ねた。
「どんな実習だったの? 道具系の魔法のこと?」
「いや、それが少し違うんだ。魔力傾向については知ってるよね?」
川上の視線に、るうは頷く。
瑞樹は使い魔を操る使役系の魔力傾向を持つ。Cクラスの担任である小林魔導師は巻尺を扱う道具系だ。そして、魔力傾向にはもう一つの分類がある。
使い魔、道具などの型から外れた――『能力系』だ。
「北原先生は、その能力系の魔法を使うらしいんだ。実際に見せてもらったわけじゃないけどね。でも説明を聞いていると、どうもその能力系の魔法が今度のレクリエーションに関わってきそうなんだ」
「レクリエーション? そういえば、そんなのあったな。来月だっけ?」
「あれ、マスムラさんから聞いてない?」
「最近顔会わせてないんだよ。成程なあ、レクリエーション絡みの情報を探してて忙しいんだな」
瑞樹は何かを考えるように腕を組んだ。
「ふーん、じゃあAクラスは、他のクラスより一歩進んでんだな……」
「全然知らなかった。でも椿ちゃん、いつも通りだったよね。あたしだったら、楽しみ過ぎてそわそわしちゃうけどな」
るうの言葉に、瑞樹は一拍遅れて返事をした。
「まあ、あいつらしいんじゃね? それで川上、実習で魔法は使えたわけ?」
小林魔導師の授業よりは実践的そうだ、と思った瑞樹の期待を裏切り、川上はあっさりと首を横に振った。
「魔法についての説明を聞いて、魔力傾向は一朝一夕で決まるものじゃないから焦るな、で終わったよ。……でも、霧島さんはずっと前から使役系なんだよね?」
「周りの大人がほとんど魔法士関係だったからな」
川上はまじまじと、失礼にならない程度に瑞樹を見つめた。
「そういうものみたいだね。Aクラスにも、小さい頃から魔法が使えたって子が何人かいたよ」
「みーちゃん以外にも?」
るうは驚いて言った。瑞樹は否定していたが、魔法学園に入学する前に自分の魔法を会得していることなど、中々あることではない。魔法士を雇う立場にある高席出身のるうでさえ、魔法については素人だ。
そこではっとした。
「もしかして……椿ちゃんのこと?」
「いや」
短く答えたのは川上ではなかった。今まで沈黙していた海森である。高槻が「お前、話聞いてたんだな」と突っ込んだ。それに構わず、海森は続けて言った。
「雑賀のことだろう」
「あ……剣道部の見学のときにいた人だよね。やっぱりあの人もAクラスなんだ」
素直に納得するるうの横で、瑞樹が眉を寄せていた。
高槻が海森の脇腹を肘で突く。
「ってか、なんで知ってんの。お前Bクラスだろ」
「俺のクラスには雑賀のルームメイトがいる。鈴木と新田」
海森はとつとつとした話し方をした。
「それで、雑賀の野郎の魔法を見たのか?」
川上が頷く。
「一応。雑賀も能力系らしくて、クラスの皆の前で手本を見せてくれたんだ」
「どんな?」
「裏返しにしたトランプの絵柄と数字を、53枚全て当ててみせた。自分の席から立ち上がりもしないうちにね。能力系の魔法は個人で随分違うって聞いてたけど、本当にその通りだった。でも、判断がしにくくて」
「何の判断だよ?」
川上は躊躇った様子も見せずに、はっきりと言い切った。
「あれが本当の魔法なのか、それとも手品なのかの判断だよ」