第一章 入学

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「……それでは次のニュースです。昨夜未明、ここ東京で魔力の収穫活動を行っている魔窟専門機関『ハーベスト』の職員二名が任務中、収穫対象の魔物に襲われ、死亡する事件が発生しました。襲った魔物については事件発生後、魔窟内にて速やかに収穫されており、居住区などへの被害は無いとの情報です。ハーベストの発表によりますと、死亡した魔法士は今年総合魔法学園を卒業したばかりの新人二名と言われており、……」

 

 

 

 淡々としたアナウンサーの声が、椿の耳にすう、と溶け込んでいく。

 抜けるように高い天井の図書館は、暖かなベージュの色合いに包まれていた。アーチ状の窓や本棚にそっと描かれた星模様が、沈みがちな図書館の雰囲気を可愛らしく縁取っている。

 だが、椿はそんなところには目もくれていなかった。

 

 魔窟専門機関『ハーベスト』。

 

 高密度のエネルギー――魔力を噴出する魔窟において、その魔力の結晶体の収穫を請け負っている組織だ。

 その結晶体が人々の生活を支えるエネルギーとなり、魔法士たちはそれを求めて魔窟に潜入する。

 魔法士たちの収穫活動の中で、他より労力を必要とする結晶体が魔物だった。

 魔物は時折、人々の魔力に引き寄せられ、魔窟から街へと迷い出てくる。そのような魔物との戦いは、魔法士にとって命がけのものとなる。任務の結果が悲惨なニュースとしてメディアに流れることも少なくない。

「……新人二名が死亡……」

 パソコンの画面を見つめる。

 ハーベスト。

 魔法士死亡。

 関係するニュースにしばらく目を通した後、ヘッドフォンを外して椿は席を立った。

 かつかつと靴音を鳴らして図書館の外へ出る。階段を数段下りたところで足が止まった。

「よお」

「……霧島」

 階段に腰を下ろし、椿を振り仰いだのはジャージ姿の瑞樹だった。

 

 

「休みの日にも図書館で勉強?」

 座ったまま瑞樹が尋ねた。ジャージのポケットから棒付きのキャンディーを取り出して封を破る。

「Aクラスは大変だねえ。あ、これ食べる? るうにもらったんだけど」

 差し出されたキャンディーを、椿は首を振って拒否した。

「私に何か用か、霧島。確かCクラスは今日、補習の授業があると聞いていたが」

「さっすが一年女子寮寮長。他クラスの予定もばっちり把握してんだな」

 今は休憩中だよ、と言って瑞樹は笑った。

 結局、あの日丸太小屋を解体できたグループは一つもなかった。そのため、Cクラスの生徒たちは休日を潰して補習を受けることになっていた。

「るうも高槻も頑張ってくれたんだけどさあ。やっぱり、私の説明じゃ、いまいちピンと来なかったみたいなんだよね。人間の体には魔力が必ず備わっているわけだけどさ、今までそれを意識せずに暮らしてきたんだし、まあ仕方がないといえば、仕方がないんだけど」

 キャンディーを噛みながらぼやく。

 魔法を使うための最初の障害がそこにあった。瑞樹のような例外を除けば、入学したばかりの一年生は、今まで魔法を見たことはあっても、それを自分自身の内に感じたことなど一度もないだろう。

「Aクラスはどんな感じなの? もう本格的に魔法実習が始まってるわけ?」

「……まだ座学ばかりだ。生徒にどのような授業を受けさせるかは、担任の魔導師の意向に左右される」

「ふうん。Aクラスって、あの緩そうな北原先生が担任だったよな。そんで椿ちゃんには、北原先生の授業は物足りないってわけだ」

「佐久良だ」

 間髪入れずに椿が訂正した。それ以外の呼び方を許す筈もなかった。

 瑞樹は片手をひらひらと振る。

「はいはい、分かったよ。で、どうなの。佐久良は今の状況に納得してんの?」

「お前とは違うからな」

 瑞樹から目線を外し、立ち去ろうとした椿の前に現れたのは、黒い毛並の狼だった。その狼の目は椿を真っ直ぐに捉えていた。

「……霧島、これはお前の使い魔か?」

「そうだよ。名前は弦。一応言っておくと、犬じゃなくて狼だから」

 一目で弦が使い魔であることを見破った。その椿の背中を眺めながら瑞樹は答えた。

「使役系の魔法か」

「結構、完成度高いだろ。Aクラスもまだ、まともに魔法使える奴はいないみたいだしな」

「見せびらかしたいのなら、他を当たれ」

 椿はうんざりとした表情を作って見せた。

「お前のお友達なら、さぞ喜んでくれるだろう。仲良しごっこをしたがっている連中には丁度いい」

「仲良しごっこねえ……」

「違うのか? 吹雪はお前やマスムラにべったりのようだが」

 体ごと瑞樹を振り返る。だが、相手はキャンディーを食べながら口を尖らせた。

「いいじゃん別に。るうはいい奴だよ。素直だし、明るいし。たまに自信を無くしてべそかくけど。仲良しごっこの、何が悪いわけ?」

 わりと楽しいけど、と瑞樹は立ち上がって椿を見据えた。

「私を巻き込むな、と言っているんだ。邪魔をしないでくれ」

「邪魔? 私らが何を邪魔するってんだよ。るうにもそう言ったのか?」

「何?」

 椿が眉を寄せる。

 瑞樹の口調が、詰問するそれに変わった。

「あんたがるうに何か言ったんじゃねえの? あいつはあいつなりに頑張ってる。それをあんたがとやかく言う権利はない。邪魔をしてんのはそっちだろ」

 そう言った後、二人は少しの間、お互いから目を離さずに睨み合った。

 瑞樹の感情がささくれ出すと、それは使い魔の弦にも伝わる。大人しく座っていた狼が頭を低くして唸り声を漏らした。

 椿の右手がゆっくりと開いていく。脱力したわけではなかった。瑞樹の動きに先んじるための備えだ。

「あんた、やっぱり――」

 しかし、瑞樹は途中で口を噤んだ。黙って後ろを振り向く。

 階段の一番上の段に、雑賀ユキが立っていた。

 

 

 瑞樹が雑賀をこれほど近くで見たのは初めてのことだった。

 顔と名前は知っていたが、入学式のときと剣道部の見学のときに見かけたぐらいで、会話も交わしたことがない。椿よりも優秀で、だからこそ新入生代表に選ばれた、とマスムラが言っていた。瑞樹にとっては、その椿よりも、という部分が重要だった。

「あー、あんた……雑賀だっけ? 何か用?」

 雑賀は初めに椿を、その次に瑞樹と目を合わせて口を開いた。

「君は確か、俊成と同門の霧島瑞樹だったな」

「……そうだけど」

 雑賀の視線を避けるように横を向き、相手の出方を窺う。

「用というほどのことでは無かったんだが――」

 雑賀は階段を下りながら言った。

「何か言い争うような声が聞こえたものだから、気になって来てみたんだ。そうしたら君たちがいた。見て見ぬ振りをするわけにもいかないだろう」

「別に、そんなんじゃねえよ。ちょっと話してただけだ」

「だが、そこの狼は君の使い魔だろう?」

 瑞樹は他の二人に聞こえないように舌を打った。目ざとい奴め。

「そうだけど、人を襲う魔物と一緒にするなよ。弦は私の相棒だ」

「……ああ、そのようだな」

 弦を観察した後、雑賀は頷いた。それから椿に顔を向ける。

「平気か、佐久良」

「……問題ない」

 何の話だ、と言わんばかりに椿は返事をした。こちらも雑賀とは目を合わせようとしない。それに気づいているのかいないのか、雑賀は椿の肩に手を置いて歩くよう促した。

「少しいいか、佐久良。北原先生から呼び出しを受けているんだ。来週の授業についてだと思うんだが、よかったら手を貸してほしい」

「それは構わないが……」

 椿が肩を気にするような素振りを見せると、雑賀はすぐに手を引っ込めた。そのまま立ち去ろうとする二人を瑞樹が呼び止める。

「待てよ、佐久良。これだけは言っとくぞ。あんたがどれだけ立派な成績をおさめていようが、どれだけ魔法に詳しかろうが、んなことどうだっていい。すごいことだとは思うけど、それを盾に人の傷口抉るような真似はやめろ。優等生らしくないぞ、そんなの」

 椿が立ち止まる。

「……お前はそう考えるわけか」

 その静かな口調は、前触れも無く様子を変えた。水面の波紋が、いつの間にか大きな波となっているように。

「お前が何故そう考えるのか、私には分からない。すでに使役系の魔法を得ているというのに」

「だから、そういうのは関係ないんだって」

「どうでもいいんだったな?」

 挑むように椿が言った。

「どうでもいいなら、何故この学園に来た。友達と遊び呆けるためか? 魔法士になるのは、そのついででいいと?」

「……んなこと誰も言ってない!」

 我慢できなくなった瑞樹が叫ぶ。

「それぐらいにしておけ、佐久良」

 雑賀がやんわりと割って入る。

 椿は「お前だってニュースを見ただろう」と雑賀に向かって早口で尋ねた。

「勿論見たとも。でも、今は先生のところへ行かなければ。論議は次の機会にしよう」

 再度促され、椿は瑞樹を一瞥した後、踵を返した。

 瑞樹に向かって雑賀が小さく釘を刺す。

「霧島。俊成との喧嘩もそうだが、君について僕はあまりいい噂を聞いていない。一概に君を責めるつもりはないが、無暗に騒ぎを起こすようなことは慎んでほしい」

「向こうが何もしてこなかったらな」

 瑞樹は階段の上から雑賀を見下ろした。ただの直感だったが、これではっきりした。

 

 こいつは椿よりも厄介だ。

 

「お互い、関わり合わないということにすればいい。簡単な話だ」

「私らがルームメイトだってことを忘れてもらっちゃ困るね。大体、あんたにあれこれ指示される筋合いはねえよ」

「あるさ。彼女は僕のクラスメートだからね」

 そう言うと、雑賀はようやく瑞樹に背を向けてその場を立ち去った。

 

 

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