第一章 入学

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 春風に宙を舞っているのは桜の花びらだけ、というわけではないようだった。

 吹雪るう はこげ茶色の目を大きく開き、眼前にそびえる校門を見上げていた。真新しい制服を着た生徒たちがるうの横を通って門の中へと入っていく。

「お嬢様、お忘れ物はございませんか?」

 惚けたように門を見つめる るうに、背後からスーツ姿の老人が声をかけた。

 車のトランクから淡い桃色のトロリーバックを運び出す。

 るうははっとしてそれを受け取った。

「あ、ありがと爺や。ちょっとびっくりしちゃってた。ここ、ほんとに大きな学園だね」

「このような学園は全国に三つしかありません。その中でもこちらは特に有名……るうお嬢様が今日からこの学園の生徒として立派に学ばれるかと思うと、爺やはとても嬉しゅうございます」

 と、爺やはハンカチを取り出して嬉し泣きの涙を拭う。大袈裟だなあと思ったるうも、その実これからの新しい学園生活に期待を感じずにはいられなかった。

「爺や、送ってくれてありがとう。あたし行くね。パパたちにもよろしくね」

「畏まりました。お嬢様、どうぞお体には十分にお気をつけてお過ごしください」

 爺やは深々と一礼した。

 トロリーバックを引っ張り、るうは校門を潜る。暖かい風が桜並木をそっと揺らしてあたりは一面桜色だ。正面の道を真っ直ぐに行ったところに大きな建物があり、人が大勢集まっている。

 寮に入れば、生活は今までとは大きく変わるだろう。るうは足を止め、校門を振り返った。

 そこには、まだ爺やが一人でぽつんと立っている。

「……爺や!」

 るうは声を張り上げた。

「――いってきます!」

 それに答えるように、スーツの腕が大きく振られた。

 

 

 

 総合魔法学園。

 

 『魔法士』を育成するための教育機関の一つである。

 この学園が設立されたのは、ここトウキョウで高密度のエネルギー――いわゆる魔力の噴出が確認されてからのことだった。

 街は魔力に飲み込まれ、今では『魔窟』と呼ばれるようになった。魔窟と化したのはトウキョウだけではなく、日本中のいたる街が魔力に覆われていった。

 魔力が溢れ出した土地に人は住めない。しかし、その魔力は人々の生活をより一段と便利なものにした。魔窟からは、様々なエネルギーの結晶体を収集することができたのだ。

 それは例えば鉱物や植物の形をしていたが、より大きな魔力の結晶体は『魔物』と呼ばれた。野生の獣のごとく、人に馴れない。絶えず魔力を求めて徘徊するが、生き物ではない。

 このような魔物と戦い、その魔力を生活の資源として収穫することが『魔法士』の役目だった。

 この総合魔法学園には魔法士を目指す生徒が大勢いる。高等部三年、並びに大学部四年を修了した者だけが魔法士を名乗ることを許される。

 そしてこの春、魔法士になるための第一歩である高等部に、新一年生が迎え入れられた。

 

 

 

『ご入学、まことにおめでとうございます』

 るうに向かって一輪のガーベラを差し出したのは、掌に乗るほど小さな小さな小人だった。

 背中に生えた四枚の翅をぱたぱたと動かしながら宙に浮かんでいる。小人は驚きのあまり何も言えないでいるるうの胸にガーベラと挿すと、楽しそうに空中を飛び回った。

「あの、あなた、も、もしかして妖精……?」

『はい、吹雪るう様。ワタシは学園内の伝令役として造られた人工妖精です』

「人工妖精?」

『はい、吹雪るう様。今日からワタシがあなたの学園生活をサポートいたします』

 るうは胸のガーベラと人工妖精とを交互に見比べ、それから嬉しさのあまり叫び出しそうになるのを必死でこらえた。

「す、すごいすごい……! 妖精ってほんとにいるんだ……」

 気づいてみると、周りの新入生たちにも一人一人、人工妖精がくっついている。翅が淡く光っていて、遠目にはまるで蛍のようだ。

 るうは人工妖精に促され、荷物を受付に預けると、入学式の会場である大講堂に足を踏み入れた。

 生花が美しく飾り付けられ、紅白の幕が壁を彩っている。壇場の一番近いところに新入生の席があった。

『吹雪るう様、お席はこちらになります』

 人工妖精が示した席に腰を下ろすと、るうは小声になって尋ねた。

「ねえ、この胸のお花、あたしだけ皆と違うんじゃないかな。他の人は赤いお花みたいだよ」

『いいえ、吹雪るう様。あなたは白のガーベラです。胸花はそのまま寮のお部屋を示しています。あなたはガーベラのお部屋です』

「そうなの?」

『はい、吹雪るう様』

 るうはそっと辺りを見回した。隣に座る女子生徒も、前のほうで友人と話し込んでいる男子生徒も、皆るうと同じ新入生だ。けれども、るうにはずっと大人びて見えた。何だか皆優秀そうだなあ、と小柄な体を縮こませた。  

 入学式は恙無く進んでいった。新入生の肩の辺りに人工妖精が浮かんでいる他は、中学校のときとあまり変わり映えしない普通の式だ。

 途中、生徒会長の挨拶があった。華やかな女性が出てきて、はきはきと力強く喋るその姿にるうは見惚れた。物怖じせず人前に立ち、自信に満ちた挨拶を終えたときには人一倍大きく拍手を送った。

 次に、生徒会長への返辞として、新入生から男子生徒が一人、壇場に上がった。生徒会長のような力強さはなかったが、新入生の代表に相応しい、落ち着いた話し方をする生徒だった。

 一つ不思議だったのは、学園長の挨拶を代理の魔導師が務めていたことだった。るうはてっきりその代理の魔導師が学園長本人だと思い込んでいたが、一身上の都合とやらで欠席していたらしい。会場もほんの少しざわめいたが、それからは何事もなく入学式は終了した。

 

 

 

 大講堂から人波が流れ出ていく中、るうは自分の胸花と同じ白のガーベラを新入生の胸の上に探していた。人工妖精が言うには花の種類が寮の部屋を示し、そして、一緒に生活することになるルームメイトも自分と同じ花を持っているのだという。

 白のガーベラ、白のガーベラ……。

 教室へと先導する人工妖精に遅れないように歩きながらも、目線だけは一生懸命に花を見つけようとしていた。

 寮生活が始まれば、毎日顔を合わせることになるのだ。どんな人なのか気になって仕方がなかった。

 できれば優しそうな人がいい。趣味が一緒だといいな、と家から持ってきた恋愛小説を思い浮かべる。

『吹雪るう様、新入生の今後の予定をお伝えいたします。入学式を終えられましたあと、クラス分けのテストがございます。そのテストの結果によって成績の良い順にAクラス、Bクラス、Cクラスに分かれます。その後新入生同士の親睦を深めるためレクリエーションが……』

「ちょ、ちょっと待って」

 るうは慌てて人工妖精の言葉を遮った。

「もうテストがあるの? まだ入学式が終わったばっかりなのに?」

『はい、吹雪るう様。クラス分けのテストがございます』

 人工妖精はふわりとるうの目の前を飛ぶ。るうは「そんなの聞いてないよお」と肩を落とした。勉強は苦手だった。この総合魔法学園に入学できたのも、両親の援助があったから、と言っていい。合格の知らせを受けたときには自分自身、奇跡だと思ったのだ。

「どうしよう、あたし、Cクラスにも入れない気がする……」

『吹雪るう様』

 人工妖精がすっかり落ち込んだるうに声をかける。

『どうぞお足元にご注意ください』

「え?」

 るうは人工妖精が浮かんでいる辺りを見上げようと顔を上げた。それがいけなかった。

 滑らかな光沢を持つ階段をるうは見事に踏み外していた。      

 

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